東北では初雪が舞ったと、今朝のNHKニュースで流していたけれど、この沖縄はまだ夏のようである。十一月に入って十日が過ぎた。つい数日前、潮風を冷たく感じて、カーディガンやら長袖ブラウスを引っ張り出したのに、この陽気では当分Tシャツでいいかもしれない、と美智子は思った。
洗濯物のカゴを抱えて、二階ベランダに上がった。
浜辺に木腐れした笹舟が放り出され、都会の若者も去ってしまったビーチはもの寂しげである。中学生らしき女の子が二人が、砂浜の波打ち際で戯れだした。裸足のつま先で水をかけあってじゃれている。その嬌声が微かに聞こえてきた。凪いだ海は太陽を照り返し、ガラス細工をまぶしたようにきらきら光っている。黄色い帆のウインドサーフィンが一隻、海面を滑っていった。
真っ青な空に、ちぎれ雲が二つ、三つ……風景だけは、なぜこうも穏やかで、平和に映るのだろうか。 キャンプコートニーの星条旗はもう見えなくなった。数年前まで遠い木立のすき間に揺らめいていたが、白い三階建ての木造マンションの陰にすっぽり隠れてしまった。もう七、八年前のことになる。星条旗が見えなくなったことに、なにか安堵したというのか、ほっとした気持ちを抱いた覚えがある一方で、あの旗に私の暮らしは支えられているのか、と小さくため息をついたりもした。
海兵隊基地に四十年勤めて、定年を迎えた。戦い終わって、やっと落ち着いた気がする。戦いと表現すると、肩を怒らせて生きてきたようだけど、そんなことはない。ただ、自分のこころの中では、それ以外の適切な言葉を見つけだせないのだ。
敗戦の三年前、一九四二年に生まれた。物心ついた時、戦闘機の爆音を聞き、傍若無人の米軍ジープの暴走におののき、誰をも寄せつけぬ鉄条網の冷たさを感じた。その時から生き方を宿命づけられたのかーーそう思うことがある。
「お母さん、早く、もう発つよ」
専門学校生の末娘が階下から叫んだ。今日は、コザ(沖縄市)の町に闘牛を見に出かける。闘牛なんかことさら関心があるわけではないが、娘の友人の親が自慢の牛を出場させる、というので出かけることにしたのだ。コザや具志川周辺では昔から闘牛を育てる農家は多いけれど、一度として目にしたことはない。
娘の軽乗用車の助手席に乗り込んだ。クーラーの風と同時に、宇多田ヒカルが流れた。海沿いの道から国道ハ号に出て西に進むと、まもなくコザの十字路を出た。
ここを通ると、母の顔を思い出す。亡くなってから五年になる。この彼岸は、お墓に行きそびれてしまった。きょう、闘牛見物の帰りに寄るつもりでいる。 十字路から国道330号を直進すると、右手に中の町社交街がある。昼近いのに、スナックから酔った米兵のわめき声が聞こえた。
闘牛場は、コザ運動公園の西端、沖縄自動車道のすぐ下にあり、沖縄南インタから大会会場に向かう乗用車も多い。「第七九回秋の全島闘牛大会」ののぼりが見えた。駐車場からぞろぞろと人波が続く。入り口には、それこそ牛のようにがっしりした入場係の男たちが立っていた。その場で三千円を支払い、薄っぺらなピンクのプログラムをもらって中に入る。
焼きそばや団子の露店は黒山の人だかりで、早々とオリオンビールを手に顔を赤らめている男もいた。すり鉢型の闘牛場の周りは、観客でぎっしり埋まった。意外に静かというのか、行儀がいい。ざわめいてはいるが、これから始まる激闘を楽しみに目を凝らしている感じである。褐色の土はならされて幾何学模様をつくっている。
開会式に続いて、軽量級から闘牛が始まった。黒牛の毛づやが太陽を反射して美しかった。牛は興奮して暴れるのかと思ったけれど、手綱に抗うこともなく、闘志を内に秘め、前足で砂をかきこんでいる。細い目だけは怖いほど血走っていた。対戦相手は少し間をおいて入ってくる。赤や白のはっぴを来た闘牛士が手綱を引っ張って向きを変え、真正面からにらみ合わせると、牛がガツンと角をぶつけ合った。
その瞬間、闘牛士は手綱を放す。闘牛士のかけ声がかまびすしい。横っ腹をたたいたり揺すったり、果ては足を踏みならして、一時もとどまらず、牛もまたそれを解するがごとく押し合っている。砂場の中央で十分以上もぶつかりあっていた。迫力がある。静止すると、闘牛士が怒ったように、気合いを入れて、もっと戦えと声を張り上げる。
一頭がぐいぐい押されて、フェンス際まで押し切られると、角をはずして後ろ向きに逃げ出した。勝負ありだ。拍手がわいた。アナウンスがあって、次の試合が始まる。娘は高校時代の同級生とコーラを片手に、ポテトチップスをかじりながら、やんやと声を上げている。その傍らでは、農家の老夫婦が大きなおにぎりを仲よくほおばっている。流れる血に興じて野蛮なイメージを抱いていたが、そんなことはなく、むしろしっかりしたルールがあって、健全なる野生を感じた。
あまりにのどかな光景である。万国旗がはためいている。戦いの場なのに、みんなの目は優しく、穏やかである。同じ気分を共有して、垣根も隔たりもない。ウチーナーンチュ(沖縄の人)に溶け込んだ気がした。闘牛場に来てそんなことを考えるなんて、今日はどうしたんだろうと思いつつ、青空の彼方に浮かんだのは、おのれの戦う姿だった。
(つづく)