本土復帰と共に、基地の縮小運動はさらに激化した。すると、またあのことが頭をもたげてくる。軍作業に対する偏見は消えるどころか、強まる気配さえした。基地にかかわって生きる自分をまた責めたくなる。復帰によって、まさかこんな気持ちにさせられるなんて思いもしない。
 警察官をめざした。高校を卒業する時、一度、進路担当の先生に持ちかけたことがあったが、君には似合わない、手先の器用さを活かした方がいい、と和文タイプに進んだのだ。犯罪をなくす一助になればーーその原点は、あの酸素ボンベの音だった。
 沖縄県警の試験には優秀な成績で合格し、勤務署が内定しかけた時、また不安に襲われた。海兵隊の給与は八万円。県警は五万円弱。三万円も開きがある。たまたま住宅金融公庫から二百五十万円の融資を受けて家を新築した直後だった。三万円近くを毎月返済しなければならない。
 それに、どうしたことか、夫がそのころから働きたがらなくなったのだ。生きる意欲を失っているようにさえ感じることもあった。家で一日中、無為に過ごすことが多い。
 外資系の会社の管理職に空きが出たので紹介したことがあった。ビジネスマンとしての能力は高い。これで仕事についてくれると一息つきかけた時、会社が倒産してしまい、失業して以来、働いていない。働きバチみたいな自分への反発なのか、当てつけしているんだろうか、その時はその程度にしか考えていなかった。
 勤務が内定していた警察署長に謝った。公務員という安定した仕事を捨て、軍作業を選んだことに、署長は言葉も返さず、黙りこくっていた。
 優柔不断と責められても、基地で生きていくしかない。どんなにバカにされてもそれしかない。そう思うと、気持ちの整理をしなければならなかった。このまま後ろ向きでいては、いつまでたっても自分がみじめになって卑屈になるだけである。
 基地の仕事の良さを考えてみた。コンピューターが整備され、先端技術の集積場だった。これからの日本もそうなるはずだ。そのための勉強を積もう。
 もう一つ、目に見えない長所があった。お互いが自立して仕事をしており、もたれあっていない点だ。合理的でドライ、変に調整しあわない。自分の仕事さえ終われば、さっさと帰ることができた。自由時間がたっぷりとれる。その時間を有効に使う手もあるではないか。
 気持ちの整理がそれでクリアされたわけではない。しかし、そうする以外に自分を納得させる手だてはないように思えた。それから娘二人が誕生した。ミルク代もおしめも、我が腕にかかっている。夫の無気力さには、腹がたって我慢ならなかったが、どんなに水を向けても自ら積極的に動くことはなかった。なぜなんだろう……。
 監査セクションでは、スーパーバイザリーにまで昇格した。日本人女性としては珍しい。それから数十年近い歳月が流れ、定年を迎えたのである。
 「お母さん、なにをぼおっとしてんの。闘牛見てたの」
 娘に声をかけられ、我に返った。目の前で闘牛は続いている。大関戦は、八重山酋長が優大力を一本勝ちで破った。格闘を目で追いつつ、頭では三十年の歩みをたどっていた。
 さあ、最後の大一番だ。沖縄ナンバーワンを決める横綱決定戦が始まる。前年チャンピオンは東昇皇龍だ。読谷出身である。挑戦者の雷電トリガーは石川市出身という。二頭とも千百キロの巨体、筋肉質の素晴らしい体形だ。毎日三、四キロ歩いて鍛えると聞いた。
 一瞬の静寂の後、ガツン、と鈍い音をたてて角がぶつかり合った。角の生え際に血がにじんだ。巨体が四つになった。長期戦か、とみなが息をのんだ瞬間、体勢を立て直そうとした雷電に、皇龍がグイッと食い込み、雷電は押し切られる格好で、勝負は予想外にあっけなく決した。
 皇龍の圧倒的な強さに、場内が沸いた。拍手と歓声が鳴りやまない。
 午後三時を過ぎたというのに、日はまだ高く汗が滴った。皇龍は、優勝記念の化粧まわしを背中に垂らし、子供を乗せて凱旋した。角にに巻いた赤や黄の手ぬぐいが誇らしげだ。
 男たちが、鉄のフェンスを次々と飛び越えて、砂場に舞い降りた。男たちが夢中になるのがわかる気がする。こんなフェアな戦いなら、それはそれで素晴らしいではないか。
 みんなで皇龍のチョコレート色の艶やかな背や腹を手でなで回して、称え合っている。皇龍は心得たものだ。メラのラッシュに動ずることもなく、悠然と構えている。その姿を見て、またほほ笑んだ。
 娘は友達宅に寄っていくというので、帰りはバス停まで送ってもらった。母の墓は、コザの小高い丘の上にある。昔のことを思い出して、なおさら母に会いたくなった。菊の花と線香を買って、バスに乗りこんだ。坂道を上がる時、嘉手納基地から戦闘機が二機、猛驀進して飛び立った。この光景も変わりなく続いている。昔ほどため息が出なくなったのは、あきらめなのか年のせいなのか。
 漆喰で白く塗り固めた亀甲墓の前に立った。ロウソクに火を灯して、墓室の中に入った。三畳ほどもある。闇に目が慣れるのを待ち、桶の水をかけてコンクリート面を洗いはじめた。
 定年を迎えて、もう一つ決着つけることがあった。哀しい決断である。(つづく)

「軍作業の女」第六回