中に踏みこむと、ニスや塗料の淡い匂いが鼻をつく。裸電球が幾十もぶらさがっている。作業場は天井が高い。二十数メートルある。屋根は所々、ガラス張りだ。ヤニとか煤で曇っている。昔は仕事の手を休め、肩をもみながら星空を眺めたものだった。待合の小座敷が作りかけになっていた。向こうの隅では、武家屋敷の土塀を塗装していた。田舎の駐在所のセットもできつつあった。
大道具の職人たちはここで汗を流す。「お早うッス」Gパンの若者たちが声をかけて過ぎてゆく。ここが一番落ち着く。冬は底冷えがするし、夏はサウナ並みだが、ここには魂がこもっている。ここに別れを告げるのだけは、やはり忍びない。
それから第十二スタジオに向かった。撮影所の西端だから、距離にしてざっと三百bはある。スタジオの裏に回ると、居酒屋はほこりにまみれてまだあった。「商い中」の看板までかけていた。今日、この店のセットが取り壊される。その前にもう一度、目にしておきタカった。
薄汚いただの居酒屋だけど、おれにとっちゃ未練がある。普通、セットなんか撮影が終わればとっとと壊されてしまうのだが、こいつは運よくスタジオの裏に放り出されたままになっていた。それでもカウンターの止まり木などほんの一部だ。持って帰れるものなら、どっかに持ち運んで一杯やりたい心境だが、ま、そうもいくまい。
「そうかい、そうかい、一杯だけだぞ」
ほこりをふいて、止まり木に座った。カウンターをなでてみた。檜の感触がひんやりと伝わって気持ちいい。たばこの焦げ跡がいくつもあった。そこらじゅう傷跡だらけだ。焼き鳥のフードがまたいい。茶褐色の油がねっとりと染みこんで、十年は使い込んだ代物に見える。みんな自分で造作したと思うと、愛着がわき、やっぱりもったいねえと思う。なんたって、四十年のおれの技量と経験のすべてを注ぎこんだんだ。
富良野の雪景色が浮かんだ。同じセットは富良野にも作った。目尻を下げてぼそぼそと話しかけてくる、主人公黒板五郎役の邦さん(田中邦衛)の顔が浮かんだ。
最後の仕事で、倉本聡さんの「北の国から」に巡り会えるなんて、本当に幸運だった。それで大道具人生を締めくくれるとは思いもしなかった。ちょうど十年前だ。失意と悔恨の日々、どうすりゃいいのかわからず思い悩んでいる時にも、この映画に助けられた。黒板五郎に生きる自信をもらった。
ツキがねえ、報われねえ、とボヤいては、飲んだくれていたけれど、こうしてみると、まんざら不運だ不幸だとばかり嘆いていられない気もする。
後ろで物音がした。スニーカーをはいた運送屋の若者が声をかけてきた。
「あ、すみません。これ、ぶっ壊しちゃうんで、いいですか」
言葉が終わるか終わらぬうちに、もう一人が店の側板を乱暴にたたきだした。
「ちょっ、ちょっと待ってくれ」と声をかけるまもなく、丹精こめたつくった居酒屋はまたたくまに、ただの角材とがらくたと化した。ものの十分とかからない。
「最後は何でもあっけねえもんだな」
ひとりごとをつぶやきながらトラックを見送ると、スタジオの表側に回った。目の前に十二階建てのマンションが迫って、日差しを遮っている。風もなく、蒸し暑い。首の手ぬぐいで額の汗をぬぐった。
マンションを仰ぐと、主婦がベランダで洗濯物を干していた。布団をたたく音もする。撮影所のどこを見ても、どこを触っても、思い出が詰まっている。その時その場の情景がまざまざと浮かんでくる。
だから、このマンションの方にはあまり目を向けない。それどころか無視することにしている。圧迫感を感じるのだ。それは、日照とか高さとかいうものではない。むろん、マンションの住人とも無関係のことである。
マンションは、撮影所の敷地を売り払って建設された。あのことは、忘れろたって忘れられない。あれから人生が急カーブしていったのだから。
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