第10回「米英軍の大移動」

 カルバラのスクープ写真をものにして、予定通り、クエートにいったん引き返すことにした。サマワは通信状況がよくない。メディアは、衛星を使ってネットも電話もこなしている。
 インターネットがまったく使えないわけではないが、交信が時々途切れる。そんなことも想定されていたので、クエートへの帰還を最初から計画していたのだ。
 ドライバーはタリックという35歳ぐらいの精悍な感じの男だった。タクシー運転手ではない。戦争のために機械部品関係の仕事を失業してしまったのだ。
 ホテルの下に旅行会社まがいの事務所がある。「日本人歓迎」と張り紙がしてあるが、いつの日に旅行客が来るだろうか。そこで日がな1日、ぶらつくタリックに声をかけ、白タクバイトがまとまった。彼は英語を少し話せる。
 「生活費に困っているから助かるよ」と笑った。前夜は宿で一杯やってご機嫌な夜。少年はスタッフのアブラハム
 このところサマワの気温も急上昇だ。午前中から35度を超す暑さだ。イラクボーダーまで送ってもらった後は、また、1人で国境越えする。タリックは、片側3車線の高速道を突っ走っていった。
 バスラ方面へは、車はほとんど走っていない。黙っていると、時速160`も170`も出すので、スピードを120`に抑えるよう申し入れたが、それでも140`は出してしまう。他の乗用車には、すべて追い抜かれた。
 砂漠というか、原野というか、そこにアスファルトを塗りつけた道路が一直線にどこまでも伸びている。走りやすくはあるが、怖い。景色がまったく同じなのである。イラク南部には山がない。北部には1900bクラスの山が1つ2つあるけれど、南は、右を見ても、左を見ても、高さ10bの樹木さえない。背丈の低い草木が生えているだけの、そこまでも単調な景色である。助手席にいても眠くなる。
 居眠り運転でもされたら大変だ、と思い、運転手の方を時々うかがいみるが、サングラスの下の目はぱっちりと開かれている。
 「do you feel sleepy?」
 眠くならないか、と問いかけても、そんなことはないよ、と答える。彼らは彼らで、こうした道しか走ってないから、慣れているのだろう。
 クエートから4日前にイラクに向かった時と、国道の状況が大きく違っていた。この日は反対側の上り車線に変化があった。米英軍の動きが激しい。続々と大量の兵を乗せた軍用車がバグダッドに向かっていた。
 イラク南部は、一番大きな街であるバスラを英国軍、サマワをオランダ軍と日本の自衛隊、その2都市の間に位置するナシリアをイタリア軍が中心になって警備しており、米軍はバグダッドから北部、さらには南部の主要都市をなど全域に配置されている。
 カルバラ・バグダッド同時テロの影響だろう。移行政権の暫定的な憲法「イラク基本法」が、米英占領当局(CPA)に正式承認される。これもテロのため、延期されたものだ。
 この法では、イスラム教を国教とし、イスラム法(シャリア)を「すべての法の源」と規定している。イスラム教シーア派系「アッダワ党」などの強い要求を、CPAが受け入れたものだ。
 テロの目的は明確にはなっていないが、CPAの動きにあわせて、再度、大規模テロが仕掛けられる可能性もあり、この日の大移動になったとみられる。
 タリックには、外国軍隊を見かけたら、速度を絶対に落とすよう言いつけている。タリックもそれだけは忠実に守り、140`から80`ぐらいまで落とすのだった。英国軍は、油田がある所ーーといっても、道路から7、8`は離れていると思われるーーでは、長い車列を待機させて警備していた。
 イラク人が銃を持っていても、そんなに怖くない。彼らがめったなことでは引き金を引かないということがなんとなく伝わってくるからだ。そういえば、ホテルの雑役スタッフ、アリが前夜も遊びに来た。なんと彼は、銃をいつも所持しているのだ。銃創を抜いて見せてくれた銃は、ずっしりと重く、スペイン製だと言っていた。
 道路上ですれ違う外国兵は怖い。そのまま引き金が引かれたら、我々の車を直撃する高さなのだから。早く逃げたいけれど、速度を出しすぎると、万一、停止を命じられた時、それが聞こえず、サマワのイラク人みたいに米兵に射殺される恐れだってあるのだから、遭わないのが一番いいのだが、この日に限って、延々と車列は続くのであった。
 サマワから国境付近まで約300`はある。あくびを30回ぐらいはしただろう。4時間近くかかって、イラクボーダーに到着した。タリックには25jを渡した。これでも5ドル余分に支払ったのだ。
 「3、4日したら、またサマワに行くからな。その時はここに迎えに来てくれるか」
 「OK。ノープロブレム」
 タリックは、そう言ってまた来た道を休憩もせずに、すぐ戻っていった。日本人と疲労度のレベルが違うようだ。そのタフネスには舌を巻く。

《親切な復興商人》
 タリックが車をつけてくれた所は、出国審査をするプレハブ小屋のすぐ裏だった。4日前にここで入国審査した時は、落ち着かない感じだったが、2度目は余裕も出てくる。もっとも審査などなく、パスポートを提示して、個人記録を書きとどめるだけである。
 「おまえ、マネジャーか?。何の仕事をしてんだい」
 雑談するみたいな調子で、それだけ聞かれた。
 「toy(おもちゃ)。its need for iraq child from now」
 戦争が終わったから、これから子供にはおもちゃが必要だろう。イラクに輸出するんだよ。罪のあるウソをついてしまった。係官は大きく、うなづいて笑った。何かちゃんとやらなきゃばちが当たるぞ。
 さあ、問題はこの後、どうやってクエートに戻るかだ。この朝、サマワを出発前、クエートのタクシー運転手の携帯に、迎えに来るよう、電話してみたが、つながらなかった。仮イミグレの100bほど先に、チェックポイントがあり、警官3人が警備していた。車はここでいったん停止して、ビザなどを見せた後、クエート側ボーダーまで行く。
 ここでまたヒッチハイクする以外にない。誰も歩いている者などいない。1、2台目の運転手は、まったく英語が通じず、運転席の外から話しかけても、窓ガラスを全開することもなく、走り去った。
 クエート側ボーダーまで3`。とりあえずそこまで行けば、なんとかなる。気温はさらに上がり、戸外は40度近くあるようだ。
 「excuse me」と声にした途端、無精ひげ男がなまりの強い英語を速射砲のように発した。ほとんど聞き取れに。想像するに、
 「でっかいリュックを抱えて、おまえ、どこに行こうとしてんだ。あっち行くんだろ。早く乗れよ。急ぐんだ。ぐずぐずするな」
 そんな感じかも知れない。助手席を指さすので、慌てて乗りこんだ。
 「おれはね、雑貨屋だ。首飾りとか指輪とか宝石も扱ってんだよ」
 今のイラクで宝石商売が成り立つんだろうか。ともかく嘘を言われたしかし、当人が悪人かどうかなど考える余地はない。ともかくボーダーまで行くしかない。
 あっという間に、クエート側イミグレに着いた。
 「パスポートとビザ出せよ。車なんか降りることないぞ」
 そう言ってくれる。横着にもそれに従った。イミグレも何も言わない。ノーチェックで通過すると、50bほど先に税関がある。長机が用意してあり、そこに荷物を乗せると、チェックがある。しかし、リュックを開けて、ちょいと中を見るだけで、おしまい。
 宝石屋は、荷物などほとんどない。奇妙な光景を見た。彼の4輪駆動には、ナンバーがなかった。すると、ドアの内側のカバーをねじで開けて、隠してあった二枚のナンバープレートを取り出すではないか。
 そこで税関の職員と2人で、車の前後にそのプレートをねじを回してつけ始めたのだ。奇っ怪だった。そこで初めてわかった。彼の車は元々、クエートで登録してあったのだ。今のイラクではナンバーなどないのだろう。だから、イラク入りした時、はずしたのだ。 ということは、彼は、クエートの宝石屋か。お金持ちクエートの商人は、小ぎれいな格好しているという先入観があるから、イラク人と思い込んでいたのだ。
 「あなたは、クエートまで行くんですか?」
 改めてたずねてみると、「ああ、そうだよ」という。
 「じゃあ、料金支払いますから、このまま乗せてってくれますか?」
 「もちろんじゃないか。でも、この車はエアコンが故障しているぞ」
 何をおっしゃいます。そんなこと、ノー プロブレム。いやいや、ツイている。車が発進した。時速170`。クエート側にも米軍の車列が走っているが、こっちだと怖さが半減するから不思議だ。
 「金なんかいらないぞ。おれは人助けは好きなんだ。喉が乾いたな。そこに米兵が利用する小さなスーパーがあるから寄ってみるが、いいか?」
 またまたノー プロブレム。こちとらも望むところだ。倉庫みたいな建物の中は、まさに食料庫みたいに商品が乱雑に積み重ねてある。米兵だらけだった。煙草やコーラをドル札を出して買っている。
 不意に、ここは自爆の対象になるんじゃないか、などと思い浮かぶと、中にいるのが落ち着かなかった。金を出すというのをきかずに、雑貨屋は、何を飲みたいと言って、結局、ファンタオレンジを買ってくれた。
 携帯電話で話しながら、車はがんがんスピードを増す。あっという間にクエート市内に着いた。どこのホテルだ、と聞かれ、なんと、その玄関先まで送ってくれたのだった。結局、イラクのボーダーから140`ほど、まるで無料のヒッチハイクを果たせたのである。

《再びサマワへ》
 クエートには2、3日滞在して、またサマワに戻る予定だ。クエートのホテルは高い。長逗留はとてもできない。イラクに向かう前と同じホテルに泊まったが、1泊の料金で、サマワでは3泊できる。大体、一泊1万7000円も出せば、日本でも豪華な夕食がついた温泉旅館に宿泊できるのだから、クエートはいかにも物価が高い。それでも中級宿である。
 毎日、長時間、インターネット屋で過ごす。情報収集が目的だ。カルバラの現場も惜しかった。3日に時点では、日本のメディアは入っていなかったのだ。わたしが一番乗りだったことは確かだが、その後、M紙記者がルポを掲載していることを知った。
 クエートに戻って2日目には、早くも里心がついてしまい、サマワに戻りたくなった。それで、再び戻ることにした。通じるだろうかと思いつつ、サマワのホテルマネジャー、サディにメールで、今夜にも電話をくれ、と打った。その前に、クエートのホテルサブマネジャーにイラクのホテルに電話をしたいと言ったが、「イラクとは回線がない」とケンもほろろだ。果たして、その夜、サディがうれしそうな声で、我がホテルの部屋にかけてきた。
 「you comeback? see you」 
 タリックがイラクボーダーまで迎えにきてくれることも決まり、今度はヒッチハイクしないで済みそうである。
 
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