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イラク・ルポルタージュ

  ここに記したルポルタージュは、イラク戦争直後、米軍占領下にあるイラク・サマワやバグダッドの現実を単身取材して、執筆したものである。イラク情勢はいま、最悪の状態だが、米軍による統治が決してスムーズにはいかぬだろう、ということは、2004年3月のこの時点で痛感したことだった。以下、ルポの一端を披瀝し、泥沼化したイラク問題を考える一助としたい。

第11回「サマワのヒゲ効果」

 再び、サマワの土を踏んだ。イラク国境越えも、復路2度目ともなると、不安も怖さもなくなって、楽しささえある。最初はあんなにビビッたのに、慣れとは怖いものである。 クエートのイミグレーションを出た所で、イラクボーダーまで誰かの車に乗せてもらおうとコンクリート面に座りこんでいると、税関の職員食堂で働くバングラデシュ人の少年が話しかけてきた。
 「you have チャイ?」とたずねたところ、20メートル先の食堂に戻って、熱い紅茶が入ったチャイ・グラスを運んできてくれた。もちろん無料だ。
 そこへ、数日前、イラクボーダーからクエートのホテルまでヒッチハイクに応じてくれた雑貨屋と偶然に出食わした。歓声をあげて握手しあった。彼が「sorry」と言うので、車を見やると、4輪駆動の車内は、布袋に詰め込んだ商品が助手席から後部座席までぎっしりと詰め込まれ、かろうじて運転席が空いているだけ。それを謝ってくれたのだ。雑貨屋の「イラク復興ビジネス」も絶好調らしい。
 ヒッチハイク車はすぐにやってくる。1970代のアメリカ車とおぼしき大型車に乗った大男に頼んだら、すぐ応じてくれた。イラクボーダーには、サマワからタリックが迎えにきてくれている。新橋から二重橋あたりに行く気軽さで、すいすい国境を通り抜けた。
 イラクに入ってすぐ、新米の物もらいに出会った。黒いアバヤ(女性のアラブ服)を来て、首から上にシェイラ(黒ずきん)をまとった、れっきとしたイラク女だ。ところが、1人は右手で煙草を吸いながら、左手を差し出す横着ぶりだ。
 「タバコ買う金があるなら、乞食するなよ」と日本語でかましたら、意味を解したらしく、にやにやしながら2度と手を出さなくなった。もう1人、おばさんがいた。こちらも口元で物を食べる仕草をしてから手を差し出し、一文でもいいから恵んでくれ、というのだが、バングラデシュの物もらいの子供あたりと比べると、動作が板についてない。こういう風にうまくやれ、と仕草を真似ると、笑い出してしまって商売にならないのである。
 途中、タリックがGSに寄った。といっても、野っ原で灯油缶につめたガソリン売りの子供に注文し、その場でホースで燃料タンクに注ぎ込む。サマワのホテルに着くと、大歓迎だ。フセインとアリが寄ってきて、アラビア式のあいさつを迫られた。
 ヒゲモジャの顔を寄せてきて、額に額を押しつけるよう強要する。嫌々ながらやると、マネジャーのサディらみんな大笑いだ。
 街を歩くと、みんなに声をかけられる。それだけではない。レストランでもチャイ屋でも、椅子に座れと勧めるので、座るとチャイを出してくれる。勘定を払おうとすると、胸に手をあて、「あんたにサービスだよ」と言う。チャイ屋でも売り物のチャイを3倍もタダで飲ませてもらった。布バッグをほころびを繕ってもらおうと裁縫屋に寄ると、縫い物を中断してすぐに応じてくれ、料金を受け取ろうとしない。
 ポルノビデオを置いていたがゆえ、何者かに爆発物を仕掛けられたCD屋までタクシーに乗ったら、すぐ近くとはいえ、金を受け取らないのには、さすがに驚いた。降りた所にチャイのスタンドがあって、また無料接待だ。
 18歳になる高校生が、某月刊誌のデータマンとして同じホテルに宿泊していた。胸に下げた防衛庁発行の証明書には「フリーライター」とあった。雑誌メディアもえらいことをやるものである。その高校生はサンドイッチ食べても、えらく高くて参った、とぼやいていたが、サンドイッチも200ディナールを100にまけてもらったことがある。
 ともかくえらくモテるのだ。しかし、全員、男である。サマワには日本人のジャーナリストや週刊誌のデータマンだけで、300人をくだらない数が入っているらしい。何の自慢にもならないけれど、モテモテぶりでは10指を争うかもしれない。
 その理由の1つは、ひそかに見当がついている。インドからパキスタン、アフガン、イラン、UAE、バーレーン、クエートと、酒に不自由する国を2ヶ月も旅しているのだ。何がウケて、何が嫌われるか、わかろうというものである。
 それは、サラーム・ワァレッカムのあいさつとともに、ヒゲである。東洋人はあまりヒゲを生やさない。韓国からはイラクに3000人を超える兵隊が送り込まれているが、ヒゲズラは見たことがない。韓国では、まともなサラリーマンらは、ヒゲなど生やさない。ミュージシャンとかヒッピーとか、アウトサイダー的生き方の者が、ヒゲを伸ばすと聞いた。イラク滞在の日本人も比較的少ない。
 しかし、イスラム社会では、まず全員が生やしている。毛むくじゃらほどいいけれど、案外、おしゃれで街角の床屋は夕方、ひげ剃り客で結構にぎわっている。
 そんな社会でヒゲがないと、どう思われるか。極端にいえば、男じゃない。下卑た表現をすると、オカマだ、インポだ、などと冷やかされることもあるという。それは、超深刻な問題である。訪れた日本人にそこまで思い込むことはないけれど、ヒゲ効果がいかに大きいか、逆説的に示してもいる。
 そのことは、派遣された自衛隊でもれっきとした証明がある。サマワを歩くと、記憶されている「japanese army」は、ただ1人だけである。陸上自衛隊イラク復興業務支援隊の佐藤正久隊長。テレビの露出度だけではない。ホテルのマネジャー、サディらも「あのヒゲはいいね。イラクの女にモテるよ」とあごひげをさすりながら言う。
 CPA(連合国暫定当局)サマワ事務所とムサンナ州が共催した自衛隊歓迎会でも、地元部族の有力者ら約200人の人気を独り占めにした、とメディア関係者から聞いた。あいさつに立った佐藤隊長の口からも、「イラクの人々からこんなに温かなもてなしを受けて光栄です」と、用意していたスピーチ原稿にはなかったセリフが飛び出し、ヒゲをなでて満足そうだったとか。
 そのせいで自衛隊員の間に、ヒゲ組が急増しているという。無精ヒゲで、平和的支援と友好が勝ちとれるなら、じゃんじゃん生やせばいい。マル特戦争真っ盛りのメディアの記者やカメラマンにも、ヒゲ組が増えている。あるキー局の若い記者がぼやいた。
 「おれなんか若いから、鼻ヒゲ生やしても、色が薄くて、柔っこくて似合わないんですよ。彼女に写真送ったら、スケベーってメールが来て、フラれたらどうすんですか」