イラク・ルポルタージュ アフガンでもカンボジアでも感じたことだけど、生まれた時から戦禍の中で生き、肉親や友人を数えきれないほど失って、涙の一滴も涸れるほど号泣し、慟哭する人生だったのに、なぜ、これほど明るく、陽気に振る舞い、生きていけるのだろうか、といつも思う。 笑顔がみんな素晴らしい。日本人に真似をせよ、といわれても、それは無理かもしれない。とりわけ最近の日本人は目が笑ってない。わざとらしい、作った笑顔が多い。TVメディアの影響だろう。子供の笑顔まで作り笑いに見える時がある。 独裁者に長い間、抑圧されて生きてきたイラクの人々の笑顔もナチュラルで、頬の筋肉はそんなに大仰に動かないのに、スマイルは絶品である。まさに、天は二物を与えず、ビジネスでは優っても、笑顔ではイラッキにもアフガニーにも、我々は正直、負けである。 とはいえ、むやみに笑いはしない。ホテルの隣に礼拝場がある。毎朝5時前に、屋根に取り付けられたスピーカーから大音響で、コーランが流れてくる国である。 マネジャーの息子モハメッドが眠そうな顔をして学校に出かける午前8時すぎ、日本でなら朝の連ドラを見るころ、ここではコーランが流れてくる。これもまた誰かしらボリュームを目一杯上げる。勘弁して、と日本でなら叫びたいところだが、ここでは二日酔いもなく目覚めがいいから、結構、それに付き合って、現在、ダイエットも上々進行中である。 笑顔についていえば、我々が日常的にやる、皮肉な笑いをめったに浮かべない。ところが、自衛隊のことに触れると、時々、それが浮かぶのだ。 メディアの世界で長い間生きてきたから、偉そうなことはいえないが、メディアを通じて、サマワから日本に伝わる人々の様子は、どうしても単色の傾向が強いように思えて仕方ない。 「人々は失業で深刻になっており、日本の自衛隊に大きな期待を寄せている」 「占領米英軍に怒りをあらわに、自主独立路線を訴えている」 「給水車やパトカーの寄贈に、日本株が急上昇中」 等々……確かに、それは間違ってはいない。けれども、大多数のイラッキは、自衛隊が派遣されてきたことは知っていても、それをどうとらえていいのか、わからないというのが、正直な感想ではないか、というのが、街を歩いてのわたしの実感だ。 あるホテルのサブマネジャーがつぶやいた。 「自衛隊をどこでどう判断したらいいんだ。おれたちと接点がないではないか。米軍は嫌いだけど、まだ判断のしようがあるんだ」 チャイ屋のおやじがもらした。 「なんで日本アーミーは街に出てこない?。危険はないって言っているそうだが、なら、我々となぜ話さない?。おれのチャイの一杯でも飲んでみりゃいいじゃないか」 彼らは大の親日家だ。街で一番見かけるトラックは「TOYOTA」であり、「NISSAN」であり、「MITSUBISHI」である。車だけじゃなく、タイヤも世界一だ」と、テレビ、ステレオ、洗濯機とみんな誉めちぎる。
電気屋の手伝いをしている元役人は言う。 「オランダ兵はうちの店に来てCDプレーヤーを買っていったぞ。でも、日本アーミーは、ミネラルウオーターの1本だって買ってないじゃないか。10キロも先のキャンプに閉じこもっているんだってな。おれたちのために、というなら顔ぐらい見せたっていいじゃないか」 大変説得力があると思う。批判しているのじゃない。むしろ、寂しがっている感じなのだ。テレビに出ると言えば、佐藤隊長か番匠幸一郎一佐ぐらいで、500人も来ているのに、顔が消えているという。 街で3日に一度ほど、日の丸をつけたジープが通る。人々が手を振っても、無表情ににらみ返されるだけ。選挙じゃないから、警備中に喜んで手を振るのもなんだけど、イラッキからすれば、手の一つも挙げてほしいのだ。 その矛先は、メディアにも向けられる。食堂のおやじが言った。 「うちのテーブルをなぜ、使わない?。いつもテイクオフだ。ケバブ(串焼きした肉)を買っていってくれるのはうれしが、なんか寂しいよな」 テレビ局だと通信技術者らを含めて6、7人、新聞社、通信社もカメラマンを入れて3、4人のクルーだが、ホテル内に炊飯器を持ち込み、日本から持参したコシヒカリやアキタコマチを焚いて、インスタントみそ汁に、買い出しで購入したケバブをおかずにご飯を食べる組が多いという。 取材の対象も、自衛隊の活動が中心。若い記者がぼやいていた。 「サマワの人たちの暮らしとか書いて、原稿送るじゃないですか。使わないんですよ。ニッポンか日本人が絡まなきゃニュースになりにくいし、扱いも悪いんだ。街に出たいんだけど、キャップが慎重になって、出歩くなって。正直、これで、サマワの人たちと平和的交流か、って言われると、考えちゃいますよねえ」 若手記者には不満もあるようだ。結局、ホテルと自衛隊宿営地とを往復する日々。自衛隊もまた日本から大量輸送されてきた和食に舌鼓を打つ。名づけて、「ニッポン・ミニ社会」が誕生したようである。 |