「サラーム、ワァレッカム」 大声であいさつした。イスラム流儀だ。「あんたたちに、よき天国を」という意味である。普段から、みんなが使うあいさつである。 「ワァレッカム、サラーム」(やあやあ、お前もきっといい天国があるだろうよ) と返ってくる。まだ天国か、地獄か、行き先も決まってないし、なんとも抵抗あるあいさつだけど、語感はなかなかいい。イスラムでは、死後の世界に極楽があるとされており、それが自爆の思想にもつながっているのだ。 「サラーム」4、5人から元気な声が返ってきた。2人と握手した。みんなにこやかな表情で微笑んでいる。 パスポートに押されたクエート情報省発行の出入国許可証を、1人がチェックしている。果たして、入国OKかどうか、内心、ハラハラドキドキしながら、見詰めていた。 A3用紙のリストに氏名やおそらくパスポートナンバーだろう、アラビックで書き込んでいる。それですぐにパスポートを返された。入国許可が下りたのだ。 やったあ。ついにイラク入国を遂げた。飛び上がるほどうれしい。時間は1日午後零時25分。しかし、スムーズにいったように見えても、わずか2`先離れたクエートボーダーからここまで1時間もかかっている。さあ、これからサマワまでどうやって行くか。東京と豊橋ぐらい離れている。日没までに着かなければ、ホテル探しができないし、夜間は治安も悪化して、危険でもあるのだ。
「あんた、国境で降りて、イラクにどうやって行くんだ?」 「ヒッチハイクさ」 「何だって。イラクはいま危険一杯なんだぞ。大丈夫か?」 「さあ、行ったことないからわからない」 しかし、国境には普通の人間はあまりいないはずだ。ワルがいたところで、そこは大丈夫だろう。タクシーだってない。国境越えの車しか走ってないから、よほど悪いヤツの車に乗りさえしなければ、そんなに危険とは思えない、と手前勝手に思い込んでいる。メディア関係者は、ビザを所有しているクエート人を雇って、サマワまで護衛付きで直行していると聞いた。 「無茶だなあ。あんた。しかし、クエートにまた戻ってくるんだろ。無事を祈るよ。その時は、おれにまず電話くれよ。迎えに来るからさ」 名刺を差し出しながら、人の身の安全をちゃっかりと自分商売に直結させている。時速100`を一度もくだらないスピードでクエートのハイウエイを飛ばして行った。ボーダーに着いたのは、午前11時半だった。 検問所の手前で、20kd(7〜8000円)を払ってタクシーを降りた。パスポートを見せると、ビザスタンプを見て通された。大型トラックが2、3台、イラク側に向かっている。手をあげてヒッチハイクしたが、停まってくれない。 300bほど先にも検問所が見える。そこがクエート側の出国手続きをするイミグレのようだ。乗用車が何台か連なっていた。リュックをかついで早足で歩いた。もちろん歩行者など皆無である。 そこでもパスポートを提示した。パソコンで照会して、実際にビザを取得しているかどうかチェックするらしい。 「ジャパン、おお」と奇声を発しながら、キーボードを打ち、ここもOK。すぐ後ろには、ライトバンのシニアの運転手が順番待ちしていた。 「イラクボーダーまで乗せてってくれないか」 係官が「乗せてやれ」とアラビア語でせきたてたみたいだ。他の男たちも声をかけている。年輩の男は、車の方に無言であごを振り、乗れと言ってくれた。助かった。ここから2`ぐらいはあると聞いている。 乗せてくれた男はイラン人だった。ボーダーに着くと、さっさと手続きを終えて過ぎ去った。また別の車を見つけなければならない。2、3台やりすごした。車体のバックにNISSANとある普通トラックの運ちゃんが停まってくれた。 「サマワ、サマワ、アイ ゴー ツー サマワ サマワ」 と繰り返した。相手は、アラビア語でしゃべった。何を言っているかまるでわからない。お経を聞くよりよりむずかしい。だが、その発音の中に、サマワという言葉がまじっている。果たして、この車がそっちに行くかどうかわからないけれど、リュックを座席に置いたら、OKしてくれた。走りながら、地図を示しても、ニコニコしてのぞき込むものの、後のコミュニケーションが通じない。 すると、若い運転手は、幹線道路を曲がって、町中の小さなたまり場に車をつけたのである。アラブ服の男たちがたくさんたむろしている。日本でならとっくに廃車扱いのオンボロ乗用車やトラックがひしめいている。少し怖かった。 「サラーム」。10数人の男たちがわあっと寄ってきた。子供たちも4、5人混じっている。 「where do you go」 英語で話しかけてくる者がいた。助かった。またサマワ、サマワと大声で叫んだ。32、3ののっぽの男が人垣から飛び出てきた。 「サマワか、おれが行く」 愛嬌たっぷりにかけていたサングラスをはずし、「サラーム」とあいさつした。「ワァレッカム、サラーム」。胸元に右手を置いて返した仕草に、爆笑が起きた。拍手も沸いた。何人かに痛いほど手を握られた。怖さは吹っ飛んだ。想像していた通りに、やっぱりみんな陽気でいいヤツらばかりだ。 「ヒッチハイクで行くんだ。しかし、no chargeじゃない。いくらなら行くんだ?」 「30j(usj)だ」誰かが答えた。 「its expensive(高い)」 「25j」アラブ服姿の太ったおやじが即座に答えた。無反応を通して黙っていた。すると、別のおやじがまた値を下げた。 「20jだ」 「OK」と即答した。ぐずぐずしてはいられない。地図で事前に図ったところでは、ボーダーからサマワまで300`はある。そんな長距離を、2000数百円で行けるなら、これは、やっぱりヒッチハイク並みの価格ではないか。 「契約」がまとまると、のっぽの男が車に案内した。みんなぞろぞろついてくる。結局、集団交渉みたいなもので、彼は価格には一言もはさまなかったのである。不思議なものだ。黒塗りの車とはいえ、塗装はほとんどはげかかった、ばかでかい外車である。「caprice classic」とある。(つづく) |