ミャンマー・ルポ

フリージャーナリスト長井健司さんの死で俄然注目が集まるミャンマー。軍事政権下の首都ヤンゴンを2003年に訪問した時、若者たちと交流して同国の実態を知った。大規模な市民蜂起は、当時から予測されたことである。

                  第8回「マークの願い」

 マークは、小泉さんの熱烈な支持者だった。
 「ぼくは祖父から、小泉さんの父親がどんなに勇気があって、偉大な人なのかよく聞かされました。彼は独立戦争の父なのです」
ミャンマーの札にはすべて、アウンサン・スーチーの父が刷られていたが、今、その札は消えた
 マークは飲み込みが早く、一度耳にした小泉の暗号名を覚えていた。食事しながらしゃべるまなこに、真剣みがあり、地下運動のメンバーではないのか、と思わせるほど、熱気がこもっている。
 「ミャンマーの人たちは、小泉さんをみんな慕っています。それを今の政府は無理やりかき消そうとしるんだ。その証拠がお札なのです」
 ミャンマーの札は5チャット札から500チャット札まで、すべて軍服姿もしくは、普段着姿のアウンサン・スーチーの父親が印刷されていた。それが今、町から消えてしまったのだ。
 軍政は、彼のかわりにライオンのデザインを刷り込んで、古い札扱いにした。
 国民の反発は強かった。それが、おかしい、と口に出して反発した人も大勢いるが、みんな秘密警察に捕まって収容所に送り込まれた、と言った。20年は出てこない、とみんな噂しているという。
 ともかく今も、アウンサン・スーチーの名前を口に出しただけで、拘束される危険があるというのだ。収容所から助け出したいけれど、どうしようもないとも嘆いた。
 「ごちそうになったお礼と記念に、この2枚をあげます。日本に帰ったら、この写真を見せて、小泉さんしかこの国を救う人はいないと伝えてください」
 財布から取りだした古いお札が2枚、卓上にあった。今にもちぎれそうな5チャットと10チャット札だ。
 悲壮感が伝わってくる。いまのままでは、将来がまったく見えてこないし、自分の結婚のことだけでなく、弟や妹のことも心配で、父や母は残された時間が少なく、悔しくて仕方ないと嘆く。ミャンマーの若者は、高価なビールには手が届かず、あまり飲んだ経験がない。それもあって、マークの酔いの回りは早かった。
 どうやって励ましたらいいんだーー。
 「働いても大した金にならないし、生活は苦しいから大変だけど、貯金をするんだ。ドルで貯めろ。チャットは紙くず同然なる危険がある。パソコンを覚えるんだ。いま、ヤンゴンでもネットカフェが増えだしただろう。あっという間に普及するから、それに備えるんだ」
 「パソコンなんて、金持ちしか持ってないし、そんなに重要ですか」
 「これからのミャンマーでは、最も重要性を増すはずだ。情報が閉ざされているだけに、解放の瞬間、大きなビジネスチャンスが生まれる。世界の億万長者はコンピューターの世界からしか誕生してないんだぞ。ミャンマーもそうなるし、お前にもチャンスがあるんだよ」
 マークは無言である。日本では当たり前のことが、ここでは、驚異のニュースなのである。
 「今の政府は国際的に息詰まっており、国内的にも経済破綻で、3、4年のうちに革命的事件が起きるだろう。その後なら、お前が働きたい日本にも、容易に行けるようビザがとれるはずだ。ドルで旅費を貯めるんだ。手紙をくれたら、勤め先の身元保証人になってあげるさ」
ヤンゴンの裏通り。南北を結んで、こんな通りがいくつもある
 「本当ですか。スポンサー(身元保証人)のことがいつもひっかかって、あきらめそうになるんです。本当ですよね」
 「あきらめちゃいけないんだよ。焦らずじっくり頑張るんだ」
 話を聞くマークのまなざしの強さには、こちらがたじろぐばかりである。我々には、その苦悩の深さはわからない。けれども、その上っ面に少し触れた気がして、わたしもぐいとジョッキを空けた。
 それから2人でディスコ兼ナイトクラブに出かけた。今度は前の方のカウンターに座ったのでステージの状況がよく見えた。これもまた驚きだ。男は男、女は女で固まって踊っているが、わずか20畳あるいかないかのステージに、いかめしい紺の制服を着た警備員が両手を後で組んで、監視しているのである。マークによると、
 「喧嘩が時々、起きるから見張っていると聞いてます」という。
 「しかし、ディスコで踊っている最中に、喧嘩なんて考えられんよ。それになんで5人も6人もにらみつけてんだ」
 若者の1人がリズムに合わせて、モンキー踊りで体を激しく動かす。そうした若者が出ると、警備員がすうっと近づいて、囲むようにして監視する。若者が警備員を刺激するみたいに、目の前で手足を揺すっても、絶対に笑ったり、しゃべったりしない。無言の監視なのだ。女の子たちがおとなしめに踊るわけが、これでわかった。これでは興ざめもいいところだが、ほかに踊るところがないとあっては、あきらめさるをえないのだろう。
 ステージの名称がふるっている。「UNDER GROUND」という。だが、踊っている女の子たちの美人度は、バンコクなど及びもつかないほどだ。マークによると、モデルクラブから女の子たちを連れてくるからだそうで、藤原紀香、菊川怜のそっくりさんがずらりとそろっている。ここにはあまり日本人が来ていない。情報閉鎖の影響はこんなところにも出ているのか。
  翌日曜日、ホテルの窓から見える青空は、ちぎれ雲1つない。最後の1番だけ25jをはたいて、大きな窓がある部屋に泊まった。眼下にスラム化した民家の赤錆たトタン屋根が見える。
このかきあげ風の食べ物はなかなかいける
 お昼のチェックアウト前に、マークがホテルフロントに来た。結局、3日間つきあってくれたことになる。頭もよく笑顔がすてきな好男子は、いつも快活にしゃべるけれど、その内容はミャンマーの貧困をさらけだすものばかりだ。ホテルの向かいにある屋台のカフェに行った。
 「ここのウエーターの給料は、住み込み、食事付で6000チャットなんだ。あの新聞配達は大体、1500チャット。生活できませんよ」
 600チャット。日本円に換算すると、817円の月給である。
 「普通に働く人で稼ぐ仕事はなに?」
 「タクシーの運転手かな。1日5000チャットは儲かる。バスの運転手も5000ぐらいだ。車掌も1日3000は手にできる」
 確かに東南アジアでは、バス、タクシー、車掌、人力車など「公共輸送機関」にかかわる仕事はステータスも低くなく、安定した収入源だ。
 こんな安月給で働いて、休日は1か月に1日あるかないかという。ミャンマーの強制労働が、国連の国際労働機構(ILO)などで問題になったと聞いたが、最低賃金が先月まで1日1000チャットだったのが、今月から1500チャットに上がったそうだ。
 民主化以前の問題がいくつも折り重なって、この国を覆っており、聞いていて腹立ちを通り越して、ただただ驚くばかりである。テレビ局は2つあるが、1局は軍の放送で、退屈なPR番組ばかりだ。もう1局も若者はほとんど見向きもしない。アメリカ映画は5、60年代の古い作品しか流れておらず、マークら若者はパリやニューヨーク、東京がどんな町なのか、はたちを過ぎても知らない。映像でみたことがない。
 マークの夢は、ビザの取得だ。
 「でも金持ちか、役所にコネがある者しかとれない。あと何年かかるかな。本当に日本に行けるようになるかな。わからないな」
 口癖のようにそうつぶやく。
 マークには世話になったお礼に、わたしが履いていたロンジーとTシャツ1枚、買い置きのサブノート、ボールペン1本、とガイド料として10j札1枚をあげた。いつもなら午後7時に帰宅するのに、毎晩午前様で、母さんが心配しているという。
 世界や社会を知らず、知識も情報も封鎖されると、人間の顔は幼さを残したままでいるだろうか。マークも18ぐらいにしか見えないし、ウエーターの中にはどう見ても13歳ぐらいの子供じみた少年も多いが、実際には、17、8だったりする。
 「一生懸命働くから、身元保証人、大丈夫ですか」
 空港に行くタクシーの中でも、マークは聞いた。
 「法律的なことなど調べてみるけれど、努力するよ。よく勉強するんだ」
 「はい、ぐずぐずしない、ボケッとしない。気をきかせる。日本で働く時、この3つが大切でしたね。覚えておきます。だからお願いします」
 マークはそう言って、手を差し出した。その腕に腕時計はない。
 時計を買うのも、日本行きの夢の1つに入っている。