ジャーナリスト、作家
(日本エッセイスト・クラブ会員、朝日カルチャーセンター講師、
元朝日新聞社社会部記者、元富山総局長など)
長崎市生まれ(東京在住)。
▼記者時代の記憶
1980年代から2000年代にかけて、記者生活の大半を事件記者として過ごしました。成田空港三里塚闘争と管制塔占拠事件(1978年)、金の現物まがい商法で1500億円をだましたとされる豊田商事事件(1985年)、520人の犠牲者を出した日航ジャンボ機墜落事故(同年)などは、今も記憶に残っています。
80年代半ば、国鉄の分割民営化に伴う国公有地売却の陰で、大手都銀がダミー会社を使って、都心の土地買い占めに狂奔している事実をつかみ、買収劇の現場を初めて報道、バブル問題キャンペーンの先駆けとしました。一世を風靡した、いわゆる「地上げ屋」という新語はこの時、造語したものです。バブル最盛期には、国税庁担当として、土地と株投機の異常性、マネーゲームの問題点を追及参画しました。
▼ノンフィクション作品中心に
バブル期に取材したデータを素材にして、初めてノンフィクション作品を執筆しました。いわゆる「B勘屋」(にせ領収書屋)事件を題材にした「バブル・ゲーム調書」(1992年、新潮社刊)。普通の市民として真面目に生きていた銀行マンや不動産会社社長が、狂乱バブルの中で、どう人生を狂わせたかを描いた小説です。
その後、高度成長経済を支えた中高年サラリーマンの問題――転職、失業、家族などに焦点を絞って、新しい視点と感覚でテーマを追うようにしました。
市井の市民に戻った元プロ野球選手の人生を描いた新聞連載企画「仕事の風景」シリーズの「球場去りし後」(2001年、計30回)が02年5月、優れたスポーツ報道、出版物を対象にしたミズノスポーツライター賞優秀賞(財団法人水野スポーツ振興会)に。かつてスポットライトを浴び、青春華やかりしころを振り返りながら、その胸の内、生き様を描いたノンフィクション。単行本名は、「不屈のプレーボール」(河出書房新社刊)。「本の雑誌2002年ベストテン」(椎名誠編集人)にもランクされた。
▼定年後の仕事
フリーになってからは、それまでできなかった海外取材に挑戦しました。
一年間にわたるユーラシアの旅行取材をまとめたものとして、「団塊諸君 一人旅はいいぞ!」(朝日新聞社刊)があります。団塊世代の人々の先駆けとなって、時間を使って、いかに安く楽しい旅ができるか、を実戦した旅でありました。
ジャーナリストとして、アフガニスタン、パレスチナ、イランなどの国々をたずねて、メディアで伝えられている現場の状況を、自分の目で確かめて、悲惨な現実を取材しながら視野を広めました。その最終目的地が、イラク戦争下、自衛隊が派遣されたイラク・サマワのレポートです。
一カ月近く当地に滞在して取材し、「イラク現地報告 自衛隊がサマワに行った本当の理由」(情報センター出版局出版)として出版しました。
05年3月、スマトラ沖地震を取材のため、インドネシア、タイ、スリランカを約1カ月間現地に取材しました。インドネシア・バンダアチェでは、両親を失った子供たちの生活が深刻になり、孤児を狙った人身売買組織が暗躍、これらの問題を「津波被災地を襲うトラフィッキング(人身売買)危機」(岩波書店「世界」6月号)に掲載しました。人身売買問題は、タイ、フィリピンなどアジア全域と日本とのかかわりなども継続取材中です。そのほか、「新潮45」や「宝島」などに社会、スポーツ関係などを執筆。
▼スポーツ取材にも意欲
「不屈のプレイボール」受賞でアスリートを描く執筆依頼が増え、様々な媒体で記事を掲載していますが、月刊宝島で連載中の「不屈魂」は、3年になります。4ページの大型企画で、田臥勇太、李忠成選手らを掲載しております。
2010年南アフリカワールドカップも現地取材、1ヶ月間にわたって日本やスペイン戦を観戦取材しました。同年秋には、中国・広州で行われたアジア大会にも現地へ赴き、日本選手を中心に取材しました。
▼四国遍路結願と体験講座
歩き遍路1200キロに挑戦、41日間で無事結願いたしました。有意義な修行であり、究極の一人旅という感慨であります。少しでも多くの人々に遍路を一度体験してほしいと思って、遍路入門講座を開催しています。
▼座右の銘は「我が道、我が夢」。好きな言葉「進取の気風」。趣味は銭湯巡り。