「ウイルヘルム・プラーゲ 日本の著作権の生みの親」
 (1996年、河出書房新社刊、2200円)

 「戦前、日本人が初めて著作権について考えることになった「プラーゲ旋風」と呼ばれる一連の事件があった。主役となったのは、旧制一高のドイツ人教師ウイルヘルム。プラーゲ。日本を愛し、著作権を日本に定着させるために心血を注いだ彼の、苦闘の半生を感動的に描いた小説。
 当時、日本では著作権という考えは一般にはほとんど理解されていなかった。「文化交流になるのだから」と、オペラは頻繁に無断上演され、ラジオでも西洋音楽を「放送してやっている」感覚。

 欧州音楽連盟の日本支部長だったプラーゲは、無断使用の摘発と告訴を繰り返すが、日本国民から「歌にまでカネをせびる「金儲けのユダヤ」と罵られ、本来、味方であるはずの楽壇すら「楽曲を自由に使えないのは死活問題」と猛反発。

 四面楚歌の中、日本初の著作権管理組織・プラーゲ機関を設立し、日本に著作権が根付くかと思われるが、すでに政府から危険分子と見られるほど事態は紛糾。内務省によって、一切の活動を封じられてしまう。絶望的な状況でもなおも著作権を守ろうと、プラーゲは危険な最後の賭けを試みる。が、彼と協力者だった(女プラーゲと呼ばれた日本人の若い)女性についに警察の手が。

 なぜ著作権が守らなければならないのか、という核心の議論がなされぬまま、世論は「プラーゲ憎し」で暴走していく。冷静さと公正さを欠いた民衆の怖さ、理不尽さが背筋をゾオッとさせる。」(以上、週刊朝日96年7月12日号、週刊図書館から抜粋)。

 日本が偏狭なナショナリズムにつかれて、ファシズムに向かう時代を背景に、二・二六事件なども織り込みながら、歴史に忠実に描かれている。
 前・後章の二部構成。前章では、お蝶夫人の幻想事件から山田耕筰との出会い、国際連盟脱退ととともに議論が噴出したベルヌ条約脱退の動きなどを背景に、後章では、日本内務省によるプラーゲ封じ込め工作、ナチスと軍部の動きなどを絡めながらサスペンスタッチでクライマックスへ。
 太平洋戦争開戦と同時に追放されたプラーゲだが、戦後、西条八十氏ら日本の音楽関係者からその行動を評価する機運が持ち上がり、日本音楽著作権協会の礎ともいわれる。

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