大作業場に戻ったものの、そこでしぼんでいた。自信も誇りも失い、五十代をどう生きようか思い悩んでいた時である。
富良野に飛んで、廃材を集めなければならない。民家の解体現場を訪ねて、柱や梁を譲り受ける。北海道では、トドマツなど本土にはない木材が使われているからだ。トラック三、四台を使って、調布の撮影所まで運ぶ。
農家の解体に立ち会った時、急に夕立になり、向かいの農家に雨宿りを請った。土間の上がり框に座って、何げなくカバンから台本を取り出した。雨がやんだことにも気づかなぬほど夢中になった。
黒板五郎にひかれた。生きる姿勢に執着とか妙なこだわりがない。自然に生きている。なんでなんだ。諸々の欲望、権勢、名声、出世……俗世の欲望のすべてを捨て去っている。希望や願いはちっぽけでいい。今日その日を、ただひたすら生きればいいじゃないか。
五郎にそん姿を感じた。敗残者の面影があった。五郎に、自分を重ね合わせると、胸が締めつけられるような、もの悲しさを感じるのだった。
台本をたたんで表に出て、富良野の青い空と雲を見た。思いっきりのびをした。
ファイトが沸き上がってきた。親友のために力を注ぐ。この男のためなら、と石の家造りに精魂込めた。そんな充実した気分になったのはいつ以来だったろう。いや、初めてかもしれない。なにもわからぬまま、この世界に飛び込み、組合闘争に身を投じ、我を見失っていたのだ。
「五郎と共に生きるのなら、やっていけるかもしれない」
「・秘密」「ィ時代」と作品のたびに、生き方を教えられた。
「お父さん、始まるよ」
和代に後ろから声をかけられ、部屋に入った。柱時計の針は、午後九時を差している。和代はマイペースだ。酔いもしない。飲みかけのコップに焼酎を差して、十四インチ画面に向かった。五分経った。羊のいる牧場で五郎が孫と戯れるシーンに続いて、「北の国から遺言2002 前編」のタイトルが浮かびあがった。
大雪山系の紅葉した山々が映った。白樺の木で戯れるリス。愛しき富良野の風景だ。
「さだまさしのこの曲、いいねえ」
和代がつぶやいた。ひじをついて横たわった。テレビの前では、これがいつものポーズだ。出演者の名が流れ、竹下景子を最後に、スタッフの名前に代わった。
「あ、お父さん。出たよ。大道具小林正だって」
「うーん」と起きあがった時には、もう消えていた。名前が流れるなんて聞いてなかった。ドラマは始まった。
ジュンがコンビニで働くユイを送って、羅臼の番小屋に帰る土砂降りのシーン。
「この小屋も、お父さんが作ったんだ」
和代も誇らしげだ。
「遺言」では、最初からスタッフだったわけではない。杉田組は二〇〇一年はじめに立ち上がったらしい。その夏前に、美術プロデューサーがあわてふためいた声で電話をかけてきた。
「コバさん、やっぱあんたがやってくれなきゃ、富良野でセット作り始まったけど、感じがな、ちょっと違うんだ。日活の仕事、なんか抱えてんの。頼むよ。撮影所にはこっちからも申し添えるから……頼む」
うれしかった。「ィ時代」で打ち切りとなった「北の国から」が復活したと風の便りに聞いて、心寂しく思っていタカら、内心、飛び上がるほどうれしかった。
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