また富良野に飛んだ。撮影には付きっきりだった。ホタルのアパート、ナカちゃんの新居、サンペイの自宅と、みんな手がけた。
翌日も早めに帰宅して、和代と二人、グラスを手にテレビにかじりついた。始まる頃にはほろ酔いだ。ひじをついて横になって見た。家ではめったにテレビは見ない。くだらないバラエティーを見せられるより、ラジオに耳を傾ける方がいい。
うとうとしてきた。ガッツ石松演ずるサンペイが五郎と居酒屋で一杯やるシーンだ。セリフは台本を流し読みして覚えていた。その時から、この場面に一番ひかれた。この居酒屋に、技量のすべてを投げ込みタカった。眉をしばタカせた。
「男はな、六十になったら、遺書を書くんだ」
ガッツ石松の声が聞こえた。
「おれ、そんなの、いいです」
「人はな、いずれ決別の時が来る。遺書を書くってことは、生きる道筋をしっかり持つってことなんだ。生き様を示せってことだよ」
いつのまにか五郎の声になっている。はっとなって目を覚ました。和代は台所で茶碗を洗っている。テレビではNHKニュースが流れていた。
「まったく肝心なとこで眠っちゃうんだから。もう終わったよ」
和代がそういって笑った。なんだ、今のは夢だったのか。 それにしても、五郎の言葉は真実めいていた。背中が痛くなるぐらいあのシーンの舞台である居酒屋のセットに、精魂込めたわけを偶然、教えられた気がした。電話が鳴った。
「お父さん、わたし、今夜夜勤で病院に泊まってんだけど、病室のあちこちでしくしく泣き声が聞こえたの。良かったね。おめでとう」
看護婦の知子からだった。翌朝、撮影所に行くと、若い連中がぞろぞろ集まってきた。
「大道具の大事さ、改めてわかりました」
「勉強になりました。さすがですね」
若い連中を鳥新に連れていっては、口うるさく言っている。
「大道具ってえのはな。いいか、自分たちで被写体を生み出すってことだ。紀香とかレオ様だけが被写体じゃねえんだ」 赤いTシャツの若者が言った。
「トド撃ちのおじさんが無事に帰還したシーン、あの漁船もコバさんですか」
さて、どんなシーンだ。眠りこけていて、知るよしもない。鳩が豆鉄砲食らったような顔でいたら、若者の方がもっと食らわされた顔になった。
さあ、いよいよ卒業旅行の日を迎えた。行き先は小樽だ。
三人で話し合った結果、「裕次郎に会うしかないだろ」ということになった。石原プロダクションの専務に話すと、「そりゃいい。のんびりしたらいいさ。ホテルは心配しないで」
ホテルの予約までしてくれた。羽田から千歳に飛んで、石狩本線に乗って小樽駅で降りた。この街の景色はあまり変わりない。変わってほしくなかった。
小樽運河の周辺を散歩した。タカさんは登山帽に黒い布袋を肩にかけている。クロちゃんは茶のブレザーで手ぶらだ。いつも通りに野球帽をかぶって、紺の長袖シャツを着て、チノパンをはいていた。
裕次郎記念館に入った。大ヒットした「黒部の太陽」で使ったトンネルは、タカさんが手がけたものだ。
館内を歩きながら、次々に裕ちゃんの写真を見せられると、切なくなってくる。その現場にいた裕ちゃんをはっきり覚えている。
「一杯ひっかけなきゃ、やってられねえ」
そう思って、かたわらのタカさんを見た。
「なんだい、こいつ、同じこと考えてやがる」
表に出た。クロちゃんが言った。
「しかしねえ。まだお天道様がこんなにお元気ですからねえ」
タカちゃんが、ノープレブレムといった感じで応じた。
「カラオケボックスに夜も昼もねえだろ」
「そうだ。ボックスには酒もあるし、今からだって小樽の夜は楽しめるぜ」
そう合わせると、クロちゃんも嫌いな方じゃない。通りがかりのおばさんにたずねた。
「近くにカラオケボックスないですか」
真っ昼間からおやじ三人でなんですかッ、という顔されてやりすごされたが、次のカップルは、パンフレットに地図を書き、この時間の料金まで教えてくれた。安い。タクシーに飛び乗って、十分後には、ジョッキを手に「カンパーイ」と盛り上がった。
三人とも飲めば、裕次郎バージョンだ。持ち歌も決まっている。領域は侵さない。まず「夜霧よ、今夜もありがとう」で喉を慣らした。「銀座の恋の物語」をタカさんとクロちゃんがデュエットした。
なんだか泣けてきた。どうしたんだ。涙がぽろりとこぼれた。