あれは、入社三年目の初夏だった。
 上司に「八スタ(第八スタジオ)に飛んでくれ。大仕事だ」
 八スタに入ったきり、その夏、お天道様をほとんど拝まなかった。宮大工と一緒にヨットを作った。塗装も終わり、最後の仕上げだ。房総の海岸でひろってきた貝をがらを船腹に接着剤で一つひとつ張りつけていた。
 突然、後ろから肩をたタカれた。
 「おおっ、すげえな。マーメイドらしくなったじゃないか」
 はっとした。聞き覚えのある声だ。振り返ると、おお、そこにいるのは裕ちゃんではないか。
 六二年八月、ヨットで太平洋単独横断に成功した堀江謙一氏をモデルにした「太平洋ひとりぼっち」のセット作りの時のことだ。
 「タカちゃん、覚えてっか。マーメイドが嵐に遭遇するシーン……」
 「おお、聞いてるよ。面白かったな」
 巨大な水槽にマーメイドを浮かべた。水槽のわきにジャンボ滑り台を作った。裕ちゃんがマストに手をかけ大奮闘した。撮影所の若者がみんな呼ばれて、滑り台の上にずらりと並んだ満水のドラム缶を、イッセイノセッでひっくり返した。大波がたってマーメイドが大揺れした。拍手が沸いた。NGなしでクライマックスを撮れた。
 映画作りのダイナミックスが体じゅうを突き抜けた。あの時、肩をたたいてくれた裕ちゃんの手のぬくもり。それを忘れることができなかった。撮影所の売却は、だから、どうしても許せなかった。いけねえ、今日はしんみりしちゃいえけねえんだ。
 「よし、歌うぞ。恋の町札幌だ」
 「ヨッ、コバちゃん、十八番ッ」
 その日はそのまま小樽の夜になだれ込み、翌日は札幌の夜に酔って帰京した。
 もう定年の九月三十日まで何日もなくなった。撮影所に行く必要もなくなり、自宅で本を読んだり、植木鉢を触って、最後の日を待った。やっぱり福ちゃんは送別会をやるといってきかなかった。あんまり自分勝手にむげにもできない。
 その日の昼過ぎ、福ちゃんから電話がかかってきた。
 「コバさん、夕方五時半ごろ、撮影所に来てくれませんか」
 「撮影所にか。会場に直接行くよ」
 「ともかく、いったん撮影所に顔出してくれますか」
 久しぶりに自転車であの道を走った。夕暮れが迫っている。この道を走らないとやっぱり寂しい。そうか。健康のために、そうするのも悪くないよな、そんなことを考えながら、いつもの倍の時間をかけて走った。
 鳥新のおやじが、カウンターの中で焼き鳥の串を刺して仕込みをしているのがガラス越しに見えた。通る時間と向きが違うと、風景はこんなに違うものなのか。サクラ並木に赤とんぼが四、五匹飛んでいた。
 「おっ、いいねえ。あぶらゼミのだみ声ばっかじゃ、味けねえからな」
 乃木将軍もマリア様も変わりはなかった。今日はバーひぐらし隣の民謡酒場のネオンのわきに自転車を止めた。それから福ちゃんの仕事場に向かった。
 「福、会場はどこだ。五万石か」
 五万石は、布田駅前にある飲み屋で、鳥新と同じ我らの根城である。福ちゃんは何も答えずに、先に立ってすたすたと歩き出した。大作業場の方に向かった。懐かしい杉の匂いが鼻を突いた。赤木圭一郎の悲劇のドアを通り抜けた。あっ、と小さく叫んだ瞬間、場内から大きな拍手が沸いた。 我が目を疑った。

自転車の男G

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