自転車の男H最終回

 大作業場の奥が仕切られて、黒幕を張って、障子や建仁寺まで使った送別会場である。赤茶色の焼レンガまでしつらえてある。本社から副社長が駆けつけてくれ、撮影所本部長の顔も見えた。
 背広でびしっと決めているのに、こちとら赤いチェストにバスキンの茶の靴だ。
 正面には「小林さんを送る会 四十一年間ありがとう」と垂れ幕が下がっていた。その真下の上座に案内された。
 場内には百人は超える人が駆けつけてくれた。福ちゃんがにやりとして傍らでささやいた。
 「すげえ人気。これ、会費制ですよ」
 耳が赤くなった。こんな時にからかうんじゃねえよ、と声に出さずに答えた。司会の女性が開会宣言した。
 「歴史に満ちた、この神聖なる大作業場を、別れの場にするのは、四十年にわたる撮影所の長い歴史の中でも初めてのことです。その歴史にふさわしい人、それが小林正さんです。さあ、みなさん、もう一度、盛大な拍手を」
 すごい拍手がわき起こった。照れくさくて正面を見てなんかいられない。早く目の前のビールに飛びつきタカった。
 芝居っけたっぷりな開会宣言とともに、送別会は始まった。お偉いさんに続いて、仕事で親しい植木屋や鉄骨屋のおやじも別れのあいさつをしてくれた。タカさんが立った。
 「コバちゃんは、輝ける栄光と、血のにじむ苦難の両方に通じるこの日活撮影所の歴史そのものです。歴史の証人でもある。彼の力があってこそ、今があるのです」 思いっきり持ち上げてくれた。デザイナーの一人は、コバさんを讃える歌を作ってきたと言って、ギターの弾き語りをしてくれた。
 主賓あいさつと促されて、立った。
 「ここは私が生まれ育った所です。どんな高級料亭で送られるよりもうれしい。本当に感謝しています」
 きちんと頭の中であいさつ文を考えていたが、胸が一杯で、酔ってもいないのに頭がこんがらがって、半分も話せなかった。 花束贈呈の後、福ちゃんが立ち上がって手にしていた風呂敷包みをほどいた。高さ四十センチほどの木製モニュメントだった。司会が記念品贈呈と宣言した。一礼して、福ちゃんからそれを受け取った。
 目を凝らすと、富良野で採ってきた白樺の木ではないか。余った木片をしまっておいたのだろうか。それとも取り寄せたのか。また胸が詰まった。白樺のポールに杉材を淡く焼いた二枚の板が打ちつけられ、白ペンキでこう記してあった。
 「ありがとう、北の国からーーご苦労様、小林正さん」
 顔をあげられなかった。
 「このヤロー。福、ばか、なにやらかすんだ。恥ずかしいじゃねえか」
 腹の中で、そうつぶやきながら、ついに二の腕で目元を拭いた。
 調布のスナックを二軒引き回されて、上機嫌で帰った。久しぶりに酔っぱらった。表通りでタクシーを降り、9のC棟の方に歩いて行った。月夜だ。やっと秋めいて、風が涼しくなった。植え込みの所を曲がった。
 青い自転車が月光に映えていた。そのわきを通って、階段口から四階まで上がった。
 翌朝、耳元に聞き覚えのある声がした。
 「お父さん、はい、これ……」
 娘の知子だった。細い指先に小さな鍵がぶら下がっている。
 「あっ、自転車の鍵じゃないか」 知子がうなずいた。
 「卒業記念よ」 和代が台所の窓を開けた。
 「ほら、早く起きて。定年翌日からそんな調子じゃ思いやられるね」
 憎たれ口をたたきながらも、その顔は笑っている。台所の窓を開けて、早く下を見な、と手招きしている。ゆうべ見たあの真新しい青い自転車は、和代と知子が買ってくれたのか。
 自転車は何台目だろう。上京して借金して中古を買った。その後、娘の自転車や和代のお古を乗り回した。新車はいつも妻子優先だった。
 いま、定年を迎え、撮影所に通う必要もなくなって、やっと新車をつかんだ。それって、どういうことなんだ。
 「お父さん、カメラ片手に多摩川べりでシャッター切るんでしょ。足だってこれまで通り鍛えなくっちゃ」
  そういうことなのか。還暦からの、新たな旅立ちにってわけなのか……。 (了)

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