第1回「ホワイトハウスの夜」

  バンコクの国際空港からミャンマーの首都ヤンゴンに向かった。出発は午後5時半。ミャンマーは日本と2時間半の時差がある。
 到着した時、ヤンゴンはすでに真っ暗だった。さあ、緊張の入国審査である。軍事政権下のミャンマーは携帯電話は空港保管、パソコンも申告の要ありと聞いていた。パソコンを取り上げられたりしたらお手上げだ。なんとか言いつくろって持ち出さねばと考えていたが、様子がわからないので、策の練りようもない。
 イミグレの窓口で、女性係官がビザを見せながら、もう1枚紙をもらわなかったか、と聞く。
 「いえ、もらってない」というと、係官は用紙を出して記入するようにと言う。その間、上司の係官がわたしの回りをゆっくり回りながら、検分していた。
 他の乗客はみんな出て行き、税関には手持ちぶさたの職員が7、8人待機している。申告用紙に記入していると、サインをしただけで、係官が「ノー、プロブレム」と言って、「ビデオカメラは持ってないか」と聞く。「デジタルカメラだけだ。しかし、パソコンを持っている」と答えると、「ノー、プロブレム」と言って、早くサインしろという。
中国風のホワイトハウスホテル
 税関を出ると、女たちのすさまじい声がこだました。日本の宝くじ売り場風のボックスがいくつも並んでおり、その中から、悲鳴が上がっている。
 それがみんな、わたしに向かっていると、女たちの顔を見てわかった。
 ホテルとタクシーの勧誘とわかったのは、悲鳴の中に日本語がまじっていたからだ。必然、日本語のうまい女性のもへ進み、タクシーを頼むと、市内まで3jという。
 金を払ってチケットを切ってもらい、案内されて車に乗り込んだ。ヤンゴンの夜の町を40分ほど走った。運転手がたばこを勧めてくれた。珍しい。
 今のところ、ミャンマーの印象は悪くない、期待したベトナムは拝金主義が蔓延してがっかりした。期待もなく、ビザをせっかく取ったのだからと出かけたラオスは、貧しいけれど、印象に残るいい国だった。ミャンマーの人たちは、案外、親切でこずるくないのかもしれない。

 ホテルは、その名も「ホワイトハウスホテル」。
 カウンターに行き、部屋を見せてもらって決めた。ツインの部屋で8j。シャワー、エアコン、トイレ付だが、窓はない。日差しが強い地域では、このタイプが良い。
 午後8時を回っている。腹ごしらえしないと、この街は夜が早そうだ。
 表通りに出ると、地べたに雑貨品を並べた物売りがたくさんいる。街灯がない。ネオンもない。露店の屋台は自分で蛍光灯を持ち込んでつけている。日本で使われているのと同じ蛍光灯が、ぽつんぽつんと光っており、屋台で飯食う人々の中には、明かりなしで食べている人も多い。電力不足は深刻なのにちがいない。
 ホテルでもらった略図を見ながら、japanease yakiniku店を探し当てた。情報を仕入れるため、最初は日本語通用の店に入る方が得である。
 コンロ付のテーブルが10数卓もある。真ん中のテーブルでは、ミャンマー人の家族8人がにぎやかに食事をしていた。
 そこから少し離れて座った。通貨の価値も呼称もわからない。メニューを見ると、カルビ750、鳥モモ750、キムチ250、ビール1000とある。高いのか安いのかわからない。ボーイを呼んで聞いてみて、チャットが呼称と知った。
 1jは900チャットという。ということは、カルビは92円だ。適当に頼んだ。カルビがまずきた。色が黒ずんで見た目が悪い。一口つまんだ。うまい。次に牛カルビ。これまたおいしい。
 若いボーイを呼んで日本語を話す人はいないかと聞いたら、奥から奥さんが出てきた。店を出して3年になるといい、もう1店舗あって、主人はそっちで働いているという。れっきとしたミャンマー人だ。
ホワイトハウス屋上の食堂。朝食は絶品
 「なんで日本の焼き肉なんですか」
 「ええ、山梨で働いてたんです。10年間いました」
 「へえ、日本はどうだったですか」と聞くと、返事がない。「物価は高いし、こりごりだったでしょ」と聞くと、また返事がない。「こりごり、ってわかりますか」と重ねて聞くと、「ええ」という。10年の日々は結構、辛かったのかもしれない。
 「山梨のどこですか」と聞いて、その答に驚いた。上野原だという。 「ほう、上野原、それはそれは……上野原は長寿の村として知られており、あそこの味噌や漬け物は、ほんとにうまい。川もきれいで、いいところじゃないですか」
 そう言うと、初めてうれしそうな顔をして、うなずいている。上野原は、中央高速道路で2時間たらずで行ける山沿いの村である。旧甲州街道沿い古びた店で売っている、酒まんじゅうもうまい。
 この店のご夫婦はこの町の焼肉店でずっと働いたのだという。それで帰国後、日本からこのコンロ付テーブルを取り寄せて、開店したそうだ。日本語は流ちょうで、味付けも日本人好みにあわせたのだろう。
 「鹿肉はおいしいですよ。山羊は少し臭みがあって、どうでしょうか。ゆっくりなさってください」と言って、奥さんは奥に消えた。
 量もたっぷりあって、勘定は全部で4800ちゃっと。550円ぐらいか。ビールはミャンマー産のマンダレービア。大瓶を2本飲んだが、まあまあの味だった。
  「アリャガトゥゴザシタ」とまるで酔っぱらったみたいなお礼の言葉を、店員に丁寧に言われて店を出た。
 もう午後10時近いが、人出はほとんど変わらない。幌付きトラックの乗り合いバスが混んでいる。車掌が客寄せの連呼をしている。
 少女がキャラメルを地べたに並べて売っている。電球はなく、ろうそくの火だ。ござにそのまま並べている。
 笑顔で、どうですか、という。ポケットから焼き肉店でもらった、口直しのキャンデーが1個あったので、それをあげた。驚いた顔しながら、すぐに口にほおりこんで、また笑った。
 街角に立つチューインガム屋の女
 その先に、たばこを売る立ちんぼのスタンドがあった。たばこは吸わない。台の上で大葉ほどの大きさの固い葉に、練り物を乗せて包んで売っている。
 40すぎのおやじが「どうだ、お前もやってみろ、なかなかいけるぞ」とミャンマー語で語りかけながら、椅子を勧める。100チャットというので、1個買ってホテルに帰り、スタッフに「これはなんだ?」と聞いた。
 天然チューインガムだという。口に放りこんだ。辛みがある。しかし、口の中につぶつぶが残り、噛んでいられず、すぐ吐き出してしまった。


ミャンマー・ルポ

フリージャーナリスト長井健司さんの死で俄然注目が集まるミャンマー。軍事政権下の首都ヤンゴンを2003年に訪問した時、若者たちと交流して同国の実態を知った。大規模な市民蜂起は、当時から予測されたことである。