第6回「劣化ウランの橋」
いったんホテルに戻り、カメラのバッテリーを交換した。朝9時から動いているが、暑さが堪えて結構くたびれる。ホテルでは新聞社の記者が忙しそうだった。こちらの時間で午前11時半は、日本では午後5時半だ。朝刊早版の原稿締め切りは午後7時から8時にかけてである。1室を借り切って事務室にし、机の上で記者たちがパソコンをたたいている。衛星電話で東京に出稿連絡もしていた。
ユーフラテス川の橋を撮りに行った。今回のイラク戦争でも、91年の湾岸戦争でも、米英軍は劣化ウラン弾を乱射した。それによる放射能汚染がサマワ周辺では激しいという。特に、軍事上の重要な攻撃目標となる橋梁近辺は、交戦が激しく、それだけ劣化ウラン弾が大量に使われたという。
チグリス・ユーフラテス川の名は、中学生時代から地理の勉強で聞いていた。地図で確認すると、北西のトルコ国内から、2本の流れ(北側がチグリス川)となって、南東に下っていく。バグダッドは、この2本の川が急接近、その間に挟まれた所に位置し、この大河の水運で街が開けたとも思われる。
写真は、ユーフラテス川に近い住宅地 さらに2本の川は南東に下り、イラク第3の都市バスラ周辺で合流、アラビア海に注ぎ込む。合流後の下流は、シャトル・アラブ川と呼ばれる。バスラも街もまたこの水運と石油で発展した都市である。
しかし、目の前に流れるユーフラテス川は、想像していた大河とは大違いだ。築地の隅田川ほどの川幅もない。なんだか拍子抜けした。逆に言えば、それだけ住宅地に近いということで、劣化ウラン弾の被害は市街地に広がったとも指摘でき、恐ろしくなる。
劣化ウラン弾は、衝撃による燃焼(1200度で発火するらしい)によって、酸化ウランの飛沫が発生する。いわゆる核のゴミだ、厳重に保管されなければならないのに、大気中に浮遊するのだからたまらない。体内に吸収すると、肺などにたまって、その化学毒性によって、ガンや白血病を発症する原因になるという。
橋はいくつもかかっている。その中に歩行者専用橋があった。みんな歩いて横断している。写真を撮ろうとしたら、その周辺で遊んでいた子供たちが手を振って、おれたちを撮ってくれという。ああ、あの子たちは大丈夫なのか、と思いつつ、シャッターを切った。
ホテルの前を通りかかったので、ロビーに寄ってみると、テレビを囲んで、客やスタッフがざわついている。また何か事件が起きたのか、たずねると、karbala(カルバラ)という街で爆弾が爆発して、30数人が死亡したと言った。テロなのか。カルバラは、イスラム教シーア派の聖地として知られる所である。
サマワ周辺の道路を通っていると、緑色の旗をかざして、5、6人連れの人たちが西の方をめざして歩いている。その姿があまりに多いから、大変目立つ。彼らは3日も4日も歩き続けて、カルバラに巡礼に行く。もし、そこでテロが起きたなら大惨事だ、と思いつつ、フセインを伴って、再び外出した。
途中、テレビ塔があったので、立ち寄った。サマワで最も高いく、6、70bはある鉛筆のようなタワーだ。入口に検問があったが、フセインのひとことで、すぐに通された。イラクの人たちは取材にはたいそう協力的である。独裁者のもとで何十年も過ごしたとは思えないほど、開放的である。
事務室に通されると、テレビの前に6、7人がクギづけになっていた。カルバラの事件を見入っていたのだ。死者は100人を超えると言った。サマワから200`ほどしか離れていない。危険はまさに、透明人間みたいで見極めがつかない、と思うと、サマワの空気もまた不気味に感じるのだった。
バスラやサマワは、湾岸戦争の劣化ウラン弾によって、高放射能汚染地帯に指定されている。いつの時代も、戦争の被害者は、特に空爆による被害者は、子供が多い。
イラクの子供たちは、実に朗らかだ。カメラを向けると、みんな「ぼくも撮って、ぼくも撮って」と言い寄ってくる。最初は2、3人であっても、5分もたたぬうちに、10数人に膨れあがる。言われるまま、撮っていると、際限がない。そのうち大人たちも、おれも、おれもと寄ってくる。
イラクの人たちは毎日、何十回とあいさつする。
「サラーム ワァレッカム」(やあやあ、貴方にもよき天国を)
どこにそれがあるんだ、と叫びたくなるほど、悔しい思いで胸を締めつけられるのだった。