ミャンマー・ルポ

フリージャーナリスト長井健司さんの死で俄然注目が集まるミャンマー。軍事政権下の首都ヤンゴンを2003年に訪問した時、若者たちと交流して同国の実態を知った。大規模な市民蜂起は、当時から予測されたことである。

第5回「微笑の裏側」

 ヤンゴンには、まともなレストランが少ない。高級ホテルの中にはいくつもあるけれど、町中はみんな屋台が主流だ。屋台には酒類はない。食堂にはあるけれど、午後9時近くなると閉店してしまい、その後、開いている店ではビールは出ない。それで、ホテルから近いチャイナタウンに出かけることが多くなった。ここは夜11時すぎまで開いており、酒もある。
 その道すがら、路上に果物市が並んでいるおそらく、それは気のせいだろう。この国が、ふた昔前の日本の見本市会場みたいなイメージゆえの勘違いだろう。
 おばさんが「宮部、宮部〜」と呼びかける。いや、「おれは森だ」と振り向いても、「ミヤベェ、ミヤベェ」と言う。「WOWOW、ワウワウ」とも声をかけられ、そういえば、WOWOWもご無沙汰しているな、と思っている傍らから、「買いねえ、カイネエ」と迫まられ、その向かい側は「損やで、ソンヤデ」と声をあげる。
 なんで果物1つ売るのに、そんな雄叫びをあげるの、と言いたくなるほど、悲痛である。耳を澄まさなくとも、ありゃ日本語だ、と聞きまちがえそうなビルマ語の洪水の中を、チャイナタウンに向かうのである。
道端のは街路樹。旧英国領時代の建物が中心部には残る
 いつも行く店に、黒猫がいる。我が路上のテーブルとレジのカウンターの間にいつも寝そべっている。背中のブラックの毛が、滑らかで艶々として毛並みがいい。そこで焼きそばを食べていると、裸足の兄弟の子が手を差し出す。赤子を布きれでくるんだ若い母親も缶カラを突き出す。その髪の毛や皮膚の汚れを見て、思わず黒猫を見返してしまう。動物の方が毛艶がいい。こういうシーンに出食わすのは、つらい。
 あげたいと思うけれど、ノーと言ってしまう。社会主義なのに、なんで物もらいがこんなに多いんだ、と憤慨したくなる。ノーというと、おとなしく引き返してしまう。それで背中から声をかけようかと思いはするが、かけたことはない。
 焼きそばはゆうに2・5人前はある。これで95、6円。サムゲタンを食べた。これは完全に3人前以上の器に、盛りだくさんの具とともに出てきた。150円。ちなみにビールは、大瓶110円ぐらい。銘柄はわからないが、ジョッキで200円の生もある。飲みすぎても二日酔いになったことがない。豆腐やウズラ(5個)の串焼きは10円。散々飲み食いしても、600円に満たない。
 さて、勘定という段になって、チャットの持ち合わせがないので、ドル札を出した。すると、レジの中国女性が「ドルは駄目なの」という。「ここは、チャイナタウンだろう。世界中でドルを受け取らないチャイナタウンはないよ」と言っても、駄目の一点ばり。この時はジョイがいたので、彼は5j札を持って飛んでいき、どこかで両替してきた。
 1jは800チャットが相場だ。正規の両替所が町中にあるわけでない。あるらしいのだが、どこにあるのかわからない。お金に関しては、本当にややこしいことばかりだ。
 帰り際、夜市でメロンを買おうと、試しに1j米札を出した。「ノッ」と語尾に力をこめていわれた。まるでブッシュ大統領の演説を知っているかのごとき、強い響きであるが、彼らは何も知らされていない。
 ホテルと空港タクシーは、チャットは受け取らない。ドルで支払ってほしいという。しかし、市内を流すタクシーにドルを払っても、ノーという。船も外国人はドル払いで、パゴダの参拝料もドルでなければいけない。
 いうなれば、外国人の出入りがある所は、みんなドル払いにさせているわけで、これによって、政府は観光の実態をつかんでいるのではないか。出入りの数も、宿泊費も一目瞭然だ。黙っているけれど、ホテルやタクシー、みやげ屋などみんな、ぶつくさこぼしているに決まっている。そのぼやきを引き出そうとしても、彼らはただ微笑むだけで、何も語らない。そこに、この国の本質を見る思いがする。
 ヤンゴンの北700`にあるバガンの街は、アンコールワットなどとともに世界3大仏教遺跡といわれる観光地で、観光客向けのゲストハウスやレストランがひしめくにぎやかな通りがあったそうだが、軍事政府のツルの一声で根こそぎ撤去されたという。なぜ撤去されたのかの説明もない。ともかく、なにか訴えたら免許取り上げ、廃業にーーは、そんなに珍しいことではないのだろう。
経済の停滞を象徴するかのように、がらくた同然のものが市に
 この国は、観光客は最初から想定していないのである。ほんの1年ほど前までは、空港に着いた外国人観光客は、否応なしに200jの強制両替をさせられていた。 両替といっても、FECs(外貨兌換券)というチケットをもらい、それで買い物などの支払いをせよというわけで、これをまたチャットに換えて使用させられていた。1FECsは1j。とはいえ、ドルへの再両替には応じない。そんな大金を1週間や10日で使い切れるものではない。そのまま持っていても、ただの紙切れである。
 一方で、政府が決めた公定レートだと1j=7チャットという信じられない超安値で、知らずに銀行で両替して大損をした観光客が結構いたらしい。そんな時でも、実勢レートは600チャットを上回っていた。闇両替が必然的に増えるわけで、今でも街を歩くと、両替を持ちかけられることが多い。
 観光客の間では、当然、不評でミャンマーが敬遠されるいちばんの理由だったが、なぜか突然、廃止になった。ともかく経済政策などというものは、なきに等しいのだろう。アウンサンシーチーを巡る問題で、欧米から経済的に締め付けられ、経済の土台ができぬまま、21世紀を迎えているわけで、路上の市はその遅れの象徴でもあるのだ。経済の行き詰まりは、いずれどこかで噴火点に到達するのではなかろうか。 
 町中にインターネットカフェらしきものがあるけれど、外国人はほとんど使っていない。ミャンマー行きを決めた時からメールのやりとりはできないと聞いているので、あきらめているのだ。ヤンゴン中心部に4軒のネットカフェが昨年末からできたというが、町中で若い人に聞いても、1人が北の路地を指せば、もう1人は西の方だったりで、実際に彼らの間で普及していないことがよくわかる。
 我がホテルでメールができないか、とたずねたら、送信だけはOKという。受信は金にならないから、引き受けないという説もある。
 それもメール1本につき、いくらという値段設定で、つなぎっぱなしでじゃんじゃん送信というわけにはいかない。メール1本の値段は、1000チャット。1jを上回る価格で、タクシーだと3`ぐらいは走れるし、あのサムゲタンも3分の2は食べられる。
 パソコン屋はたくさんある。秋葉原みたいな電気街があって、SONYやTOSHIBA、HITACHIの文字は氾濫している。
 せっかくパソコンを購入しても、楽しみは半分だ。インターネットが普及していない。Yahooも開けないから、世界情勢もなにもわからない。若い人にとっては、サッカー情勢だけでも知りたかろう。町中の路上にはベッカムのポスターがここでも人気だ。ロナウドのもある。シュワちゃんが、カリフォルニアの知事になったとジョイに言ったら、びっくりしていた。
 
写真を撮ると、ナイスを連発。素朴な笑顔を喜んでいいのか
こんな実状をつぶさに見ていると、この国の人々の無邪気な笑顔を、喜んでばかりいられない。外国人に対して、物売りを強要しない。バンコクなど爪の垢を煎じて飲ませたいぐらいだ。東南アジアに求める、我が「3ナイの鉄則」ーーぼらない。しつこくない。だまさない、を守っているのは、この国だけだ。
 ミャンマー人は大変文物が好きなことは確かだ。東南アジアでこんなに古本市が立っているところは珍しい。本来、それだけ知的欲求が高いのに、政府によって様々な抑制が加えられているから、吸収する知識や文化、教養の幅が違う。
 世界の実状や置かれている立場を知れば、彼らの微笑も変わるかもしれない。言葉は悪いけれど、無知の微笑、本能のままの微笑であって、素直にほほえみ返してばかりいられない気がするのである。