ミャンマー・ルポ

フリージャーナリスト長井健司さんの死で俄然注目が集まるミャンマー。軍事政権下の首都ヤンゴンを2003年に訪問した時、若者たちと交流して同国の実態を知った。大規模な市民蜂起は、当時から予測されたことである。

第6回「小泉さん」

 ヤンゴンの滞在日数は10日間の予定だ。バングラデシュ航空のチケットで、バンコクからネパールのカトマンズまで買ってあり、いわばストップオーバーである。バンコクでバングラデシュのビザを取っておけばよかったのに、それをしなかったために、ヤンゴンから離れることができなくなった。
 ここのバングラデシュ大使館にパスポートを預けたから、手元にはコピーしかない。普通ならコピーでも国内は自由に動けるが、ここでは、汽車も船もホテルも場合によってパスポートの提示を求められ、コピーはきかないというのだ。
 特にホテルは、旅人にトラブルがあった時、なぜ、おまえのホテルはコピーで泊めたと警察にいじめられるので、慎重になる、とピンさんも言っていた。
 このため、マンダレーにでも行くかと思っていたが、それもやめた。もっとも、マンダレー、バガン、インレー湖など観光コースを歩けないからといって、さほどがっかりすることもない。この国はどこへ行っても、パゴダしか見られないのだ。逆に言えば、パゴダ以外は見せないぞ、という軍政(国家平和発展協議会SPDC)の姿勢なのである。
ミミ兄弟の店があるボージョー・アウンサン・マーケット。この店は絵画の店
 パゴダの豪華絢爛なゴールドを見ても、敬虔な心情にはなれない。それよりも、この国は、やはり、我々には見えない人々の苦しみとか、何を求めているのか、少しでも知ることができたらと思う。
 それなら、首都ヤンゴンがいちばんいい。ここには、アウンサン・スーチーも軟禁されている。
 バングラデシュ大使館でビザ申請書を書いた帰り際、ジョイの生地屋がある市場に向かった。おそらくヤンゴンでは5つとないだろう歩道橋の1つを渡っていると、24、5の若者が、
 「こんにちわ。元気ですか。どこ行きますか」と声をかけてきたので、ジョイにもらった名刺を見せて、この店に行きたいというと、ぞろぞろと2人の若者が加わり、3人とも日本語でしゃべりながら、ついてきた。道なかば、若者が言う。
 「ぼく、ジョイの兄貴です」
 「嘘だろう。バキャロー。そんな偶然があるかな?」と大笑いすると、若者は「馬鹿野郎」の意味を知っているので憮然とした表情で、後ろの少年2人は「バキャロー」の発音練習を繰り返し、「本当に兄貴だよ」とも付け加えた。
 「おにいさん、チャイナタウン行ったでしょ。ジョイに焼きそばごちそうしたでしょ」
 若者はそう言って自分の正当性を訴えた。そこまで言われて、顔を見直すと、確かにそっくりである。「いやあ、悪かった。本当に兄貴なんだな」と言うと、うれしそうに笑って、「ジョイに用があるなら家にいるから電話するよ」という。
 彼らと話していてわかったことは、ひげのおやじが来て、ジョイと長時間つきあったということが、彼ら日本語勉強グループの間で電撃的に伝わったということだ。見張っていたわけではないが、あちこち目配りしてマークしていたことは確かだ。
 あの人波の中で、瞬時に見つけだす力は、やはり先天的な感覚もあるのだろう。彼らが、人を呼ぶ時、鳥の鳴き声みたいなチュッチュッという声を出す。指を鳴らして合図する時も、動物的な音を出す。いくらまねしてもできなかった。
 「ぼくたちは日本語の会話の勉強をしたいんです。そのチャンスが少ないですから」と繰り返し言うように、ものをねだったり、妙な客引きはしない。
街角の床屋は、いつもにぎわっている
 ちょうどホテルがえを考えていた。窓のある部屋にしたいけれど、適当なホテルはないかとたずねると、4、5軒案内してくれた。みんな20−25jの高級ホテルだ。窓がついただけで15jの支出増はきついし、ホワイトハウスの朝食はやっぱり捨てがたい。
 歩きながら、ジョイの兄にミャンマーをもっと知りたいみたいなことを言うと、それなら何をおいてもロンジーだ、という。
 結局、ジョイの姉の店に連れていかれ、2000チャットのロンジーを買わされた。ズボンの上からまとったのに、たしかに暑苦しくない。そのまま、ホテルまで歩き、一段落して、ズボンを脱いでまとってみると、ぐんと軽くなって、着心地が格段によくなった。ついでに正装用の白シャツも170円で買った。日本がどんなにデフレだって、中国製コットン100%シャツをこの値では買えないだろう。
 黒めがねをかけ、長髪をまとめる紺のはちまきをして、写真を撮らせると、若者たちが一斉にはやしたてた。
 「マフィア、マフィア」とはしゃぎまわる。なんだか楽しくなった。300円たらずで、こんなファッションが楽しめるなら安いものである。歩いてみた。スムーズだ。階段ですそを踏みそうになった。困るのは財布だ。ポケットなどはない。シャツのポケットにしまうのが一般的という。
 寝転がった時の、利便性はズボンより群を抜いている。まくれば涼しいし、はいている感じはない。結びを緩めれば、そのまま寝具だ。ジョイが眠る時も脱がないというのがよくわかった。
 それから再び、ジョイ兄弟とチャイナタウンに行った。ビールを飲みながら少し迫ってやった。
 「中国の連中は金持ちみたいだね。なんでミャンマー人と違うんだよ」
 「彼らは一度儲けた金で、ルビーとか宝石売って商売するから金持ちだよ」とジョイが答えた。しばらく黙っていた兄貴がしゃべった。
 「きょう、ホテル案内したでしょ。おにいさん、言ったね。美しいビル見て、あれ、ホテルかって。あれ、全部、警察とか役人住んでいる」
 「なんで役人がそんなにいいマンションに住めるんだ」
 「道でみんな仕事(露店市のこと)してるね。警察、みんな金よこせと取っていく。金あげないと、店出せない」
 「許せないな。カンボジアと同じだ。でも、みんな黙っているんだろ。アウンサン・スーチーがこないだ、また、軟禁されたって知っているの?」
 空腹だったからビールの回りも早くて、でかい声を出すと、2人が急に回りをきょろきょろ見渡して、落ち着かない様子だ。
 「ブッシュの演説を知ってるか」
 「アメリカは、ぼく、嫌いです。でも、何を言ったんですか」
 「イラン、ノースコリア、ミャンマー、ジンバブエは、政府が国民を圧迫しているって言ったんだよ。外国でアウンサン・スーチーの問題が大騒ぎになってるのは、知らないのか」
ミミ兄弟の市場の後にある、ヤンゴン駅の隣駅。汽車が止まっているわけではに。停滞した経済を象徴する風景だ
 ジョイが囁くように聞いてきた。
 「日本の人、アウンサン・スーチー、好きですか」
 「好きも嫌いもない。スーチーの考えが普通なんだよ」
 2人のにこっとした顔は、あのミャンマーの微笑である。でも、そわそわしている。
 「わかった。アウンサン・スーチーと呼ぶのはやめて」
 「小泉さんに言い替えて話すことにしようか。それだと周囲にもわからないからな」
 「小泉さんは、日本の首相じゃないですか」
 「いいじゃないか。首相になるのを期待しているんだろう」
 「小泉さんの名前を言っただけで、密告される。大きな声では絶対、政治のこと、話せない。刑務所に入って10年ぐらい出てこられない。こないだも学生が捕まったんだ」
 兄の方が政治に関心があるようだ。
 「ただ、去年、物価がものすごく上がった。米とか油とか高くなって、ご飯食べられない。みんな怒っているよ」
  「小泉さんの家、おれ、知ってるんだ。同じ方向だから。通りの入口から兵隊や警察が見張っていて、その通りに入る車をチェックしているんだ」
 「タクシーでいくらでいくんだ?」
 「普通は3000チャット。でも運転手も、なんでここに来た、と言われるのは怖いから、5000、6000を要求する」
 「あした、連れていってよ。報酬は出すよ」
 「絶対嫌だ。ぼくたちは、方向は同じでも、近くの十字路で左は小泉さん、右がうちなんだ。なんでこっちに来た、っていわれて、つかまるかもしれない」
 「じゃあ、無理かな」
 「おにいさんだって、外国人だから気をつけた方がいい。捕まえるのは向こうの勝手だから」
 赤子を抱いた目の不自由な乞食がジョイの前に立った。かたわらに4、5歳の息子も立っている。
 「おにいさん、これもう食べないね。あげていい」
 うなずくと、彼は皿ごと彼女が手にしていたポリ袋に残飯のごとく2皿分を突っ込んだ。母は無表情に立ち去った。後ろ向きになった時、片手を袋に突っ込んで、ひとつまみして口に放りこんだ。
 彼らの嘆きはその後も続いた。チャットの通貨が不安定で、働いてもお金の価値がなくなるのでは、と思うと腰を落ち着けて働く気持ちになれない。今のままじゃどうにも経済が立ち行かない、だからといって、アメリカは嫌だ、そんなことを口々に話した。
 「日本はいいよ。日本の人がたくさん来てくれるのがいい。そしたら、ぼくたちの仕事も増えるから。うちの学校じゃ、200人も日本語を勉強いている。でも、日本人、そんなに来ない。だから、町中ではよく日本人を探しているよ」
 人混みの中から、わたしを見つけだした背景には、ミャンマーのシリアスな事情が隠れていたのだった。