ミャンマー・ルポ

フリージャーナリスト長井健司さんの死で俄然注目が集まるミャンマー。軍事政権下の首都ヤンゴンを2003年に訪問した時、若者たちと交流して同国の実態を知った。大規模な市民蜂起は、当時から予測されたことである。

第7回「夜と昼の顔」

 昨日からの24時間、ヤンゴンは停電時間の方が長かった。すべての地区がそうであったかどうかわからないが、ホワイトハウスホテルが市中心部の恵まれた地区であることを考えれば、電気も優先供給されているわけで、市の大半がそうであったと思われる。
 ヤンゴンに人口が集中しているから、需要が追いつかないと聞いていたが、これほど長時間にわたると、もっと根幹的なシステムの問題に起因するのではなかろうか。
 電気が来ようが、来まいが、ミャンマーの人たちは一向に変わらない。即座に自家発電器を起こして、何事もなかったように動き回るが、我々は、心底、電気がないと弱いことを身にしみて感じた。部屋の非常灯では、読書しても1時間もすれば疲れてしまい、うとうとする。再び、目を覚ましてもまだ暗い。外は太陽が燦々と輝いてまぶしいほどなのに、部屋には窓がないから、一筋の光すら入ってこない。
 階下のロビーに行くと、蛍光灯はついているが、自家発電機の音がうるさくて、じっとしていられない。酷暑だから出て行く気はしないのに、仕方なく出てゆく。30分もしないうちに帰ってくる。だが、停電はまだ続いている。パソコンで原稿を書くこともできない。
ホテル向かいの建物。老朽ぶりにヤンゴンの停滞がのぞく
  もっとも停電でなくとも、ヤンゴンの夜は暗い。ホテル前の道路では、それなのに、毎晩、子供たちがバドミントンに興じている。少し上に羽根が飛ぶと、見えなくなるけれど、落ちてきた瞬間、打ち返す。こりゃオリンピック選手が育つだろうな、と思うぐらい器用である。サッカーも暗い道端で、裸足でやっている。
 ヤンゴンでは、絶対に酔えない。道が暗いだけならともかく、そちこちにコンクリートのはめ板がはずれているのだ。片足突っ込んだら、骨折もしくは捻挫は間違いないだろう。機嫌良くなってしゃべっていても、地面から目をはずせないのだ。

 ジョイたちと夜の探訪に出かけた。ディスコに行くときは、スラックスをはくんだ、と言っていたジョイもわたしも、ロンジー姿のまま入った。昔のキャバレーの電気を消した状態を思い浮かべると、ちょうどいい。ディスコ兼クラブだ。前方にステージがある。女たちが踊っている。だれ1人として、タメイをはいた女はいない。スラックスとタイトスカートが多く、ミニスカートもいる。暗くて顔が見えないのが残念だ。ジョイたちは目がきくのか、こっちがいいとか、あれはぶすだとかささやいている。
 みんななかなかのプロポーションである。外では絶対見ないファッションだから、彼女たちはここに来て、トイレかどこかで心はずませて着替えて踊っているのかもしれない。
 入場料は、ビールもしくはウイスキー2杯付で300円。ジョイ兄弟が、女の子をつけよう、可愛いい子がいるから、とそそのかしたが、気乗りがしなかったのでやめにした。チャイナタウンが近いこともあって、客は中国系が圧倒的に多い。
 ディスコミュージックに合わせて、ステージには20数人が踊っているが、よくみると、女は女、男は男で固まっているではないか。女の体の振り方も遠慮しいしいという感じだ。男もロンジーはいない。ステージだけは完全に西洋化させている。口には出さぬが、軍政崩壊、自由と解放の日を思い描いて、踊っていることだろう。
 突然、音楽と電気が消えた。また、停電なのだ。踊っている連中はどっちらけである。席に戻ると、またついた。あわててステージに飛んでいく。
 ディスコを出て、隣のレストランに入った。ここも薄暗い。こちらは日本のライオンのビヤホールに似ている。だだっ広く、ビアカウンターも長い。前方のステージで、若い女がカラオケをやっているのかと思ったら、どうやらプロの歌手らしい。
 その後が傑作だった。なかなかの美形5人によるファッションショーだ。インドのサリー風のドレスをまとって、モデルの歩き方を真似て、ステージを歩くのだ。男たちが食い入るように見つめている。モデルもニコリともせず真剣な表情だ。それでかえっておかしくて笑ったら、ジョイたちがなぜ笑うのか、と何度も聞いてきた。
夜のスーレー・パゴダの美しさは目を見張るけれど……
 どこに行っても盛り上がりがもう一歩だ。暗いから盛り上がらないのか、それとも自由を奪われているからなのか、わからない。
 翌朝、ホワイトハウスホテルもあきたので、近くのダディーズホームホテルに移ることにした。荷物を運んで一段落すると、再び、町に出た。ここは本当に面白い。カメラ・電気店の前を通った。NIKONのカメラがあると、よく見ると、NICAMだ。隣にはCANON、でなくてCANNON。KONICAをやめてHANICA。
 SONYのラジオでなく、HONY製がある。人気のPANASONICは、PENSONICとかTONESONICなどとバラエティに富んでいる。著作権もなにもあったものではない。インド系ヤンゴン人の主人が、言い訳がましく言う。
 「みんな中国製だ。しかし、なんで、あんたは笑ってメモばかりしてんだ」
 と不機嫌な感じになってきた。ノートを見せると、
 「ここじゃ、みんなHONYだ。うちだけじゃない。買わないなら、ほかんとこ見てこいよ」
 追い出されて、またぶらぶらする。ミャンマーには古道具屋というかアンティック店が多い。ところが、これが値打ちものらしき品々が、本当にそろっており、見ていても飽きない。
 戦前、イギリス統治時代の珍品が出ており、シンガポールやタイからわざわざ買い求めにくる商売人が結構、いるという話だ。もちろん、大日本帝国陸軍将校が、最後を遂げたであろう日本刀など数知れず、ほこりをかぶって陳列してある。
 一種の鎖国状態が続いているために、古い時代の品々が持ち出されずに、市場に出回っており、ミャンマー人でそんな趣味や余裕をもてる人が少ないという現実が重なっている。
 中古でなくとも、ルビー、サファイア、ヒスイ、金銀などの宝石・貴金属類も安く出回っている。これを集中的に買い集めて、日本に持ち帰り、売りさばいている日本人もいると聞いた。
 ネームプレート屋がずらりと並ぶ通りもある。様々な字体にカラフルなロゴマークをつけた金色のネームプレートを1日がかりで作ってくれる。ビルマ文字でも英語でもOK。プラスチック板を器用に切り抜き、長さ4、5a、幅1aほどのシャレたプレートを、80円ほどで作ってくれる。
 薬局、めがね、電気製品、ロープ、歯科など通りによって、専門店街化しており、めがね通りにはずらりとめがね屋が並ぶ。サングラスの度付きをこしらえて、3000円たらずだ。もちろんGUCCHIなどと勝手にブランド名をうたっている。
街頭のテレビ。ふた昔前のヒット曲ダイアナに、男たちがたむろしていた
 通りをぶらついていたら、いつの間にかチャップリン・マーケットのあたりにきた。このあたりに来ると、必ず声がかかる。
 「久しぶりです。こないだ会いました。覚えてますか」
 振り返ると、ジョイの姉の店でロンジーを買った時、マフィアとはやしたてた若者の1人、日本語が上手なマーク(仮名)だった。ハンサムな顔だちで、目が輝いて、賢そうな感じだ。2人で市場を見て回った。骨董屋に連れて行かれた。
 「ここには、少数民族のナガ族が使っていた首飾りや指輪が置いてあります」
  マークが女店主に話しかけると、店主がシカの角などをあしらった中古のネックレスをショーウインドウから出した。これも値打ちものだ。20j前後で珍品が買える。
 美術品店も素晴らしい。数十枚の絵をずっと見て回った。白い靄がかかる森の木陰をかごを頭に置いて歩く女の後姿を描いた叙情的な絵が気に入った。その一枚を取りだして見つめていると、若い店主がうれしそうに語った。
 「この絵はぼくの父親の作品だ。筒入れに入れるので、日本に持ち帰られます」
 と売り込む。森のグリーンと白い靄、女の黒い影がマッチした素晴らしい作品で、相当にぐらついてしまう。1枚1600円ほどだ。
 それから紅茶を飲んだ。マークは7人兄弟の次男。父親が年とって、長男が結婚したため、一家の柱として生活を支えなければならない。マークは財布から1枚の古びた札を取り出した。
 「この人、知ってますか。小泉さんの父親です。ぼくは怒ってます」
 声をひそめながら、マークは強い口調で語った。それから、チャイナタウンに出かけて、食事することにした。