立ち小便はとっくに終わって、車は変化のない一本道をサマワに向かっていた。
 サマワに着いたのは、午後4時近かった。こんなに小さな町なのか、それが、サマワの第一印象だ。
 5階建てのビルがない。低層のレンガ造りの家が並び、街は土色の風景である。ロータリーの真ん中に、巨大な鉄の給水タンクがある。その周囲で銃を肩から吊した警官たちが数十人、交通整理している。
 ハッサンが警官たちに聞いて、ホテル探しをしてくれている。1件目をたずねた。レセプションに行くと、いきなり日本のテレビのあるキー局名を言われた。お前はそこの者か、というのである。
写真説明
いたるところに戦車が廃棄されている。
 「いや違う」と答えると、「oh、full」と言って、あとはまったくとりあってくれなかった。ハッサンが次の所へ案内した。そこでもまた別のキー局の名前を言われた。今度は、あいまいに返事をして、部屋を見せるように促した。階段を昇りんがら、マネジャーに何度も、「あんたはそのテレビ局の人間だろうな」と確かめられた。日本人の記者がいた。つい本音を漏らした。
 「フリーなんですが、泊まる所なくて困っているんで、一泊だけ頼んだんです」
 マネジャーはそれを見て知り合いだと思ったようだ。「OK。レセプションでチェックインしよう」と促した。階下に降りる途中、記者がマネジャーにささやくのを感じた。レセプションに行くと、マネジャーは態度を豹変させ、「Oh、no full」と断るのだ。あのヤロー、と罵りたかった。日没前、一夜の宿に困る同国民に、こんな仕打ちをする、テレビの視聴率争いも、ここまで落ちたか、と嫌になってしまった。 ハッサンも言う。
 「サマワにはホテルが少なく、どこも日本人で一杯だ」
 「そんなこと言うなよ。あんたが頼りだ。頼む」
 それからもう1軒に断られた。シーア派の巡礼のパレードにぶち当たった。奇妙な行列だ。手にした鎖で、両肩を交互にたたきつけながら、気勢を上げて練り歩く。その間は、動くな、と警官に制止された。いらいらしながらまた。
 その後も、ぐるぐる町中を回った。4軒目のホテルでは、マネジャーに新聞社と通信社の社名を数社いわれて、返事を濁して、言葉がわからないふりをしていると、部屋を見せてくれ、即決でOKし、ついに部屋をゲットできたのだった。ここも、どの部屋も、日本メディアは借りつくしている。社名のステッカーを貼った社もある。
 その夜はどうやらシーア派の前夜祭なのか、ホテル前のメーンストリートはすごい人波だった。みこしが出た。原色ネオンで飾り付けられ、光り輝いている。カメラを手に飛び出した。
 ワアッと人だかりができ、子供たちが「撮ってくれ」としきりに催促する。シャッターを切り続けていると、大人たちも子供を押しのけ、ファインダーの枠内にしゃしゃり出てきた。中年男の1人が、こっちに来いと促され、みこしの裏側に回ると、70すぎの男性がおり、「このおやじを撮れ」とみんながはやし立てる。祭を仕切るボスというか、宗派の幹部らしい。カメラを構えると、唇をつぐんで威厳のある顔でポーズを作った。
 サマワ最初の夜は、華やかな祭の雰囲気の中で迎えることができた。ハッサンには、ホテル探しを手伝ったのだから、と増額を要求されたので、クエートマネーの余り1クエート・ディルハム札2枚を渡した。それでも6ドルではある。最後は握手して、「See you again」と別れたのだった。

第4回「サマワで初めての夜」

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