ルポ・インドネシアの津波被災地
    子供たちを襲うトラフィッキング=人の密輸=危機を追う
(岩波書店「世界」掲載)

 約三十万人の人命を奪ったスマトラ沖地震・津波。二十世紀以降、未曽有といわれる天災によって、新たな人災が懸念されている。いわゆるトラフィッキング(trafficking=人の密輸)の危機が子供たちを襲っているのだ。
 奇しくも三大被災地のインドネシア、タイ、スリランカは、子供の人身売買市場として、国連児童基金(ユニセフ)はじめ国際機関・団体が厳戒していた地域である。強制的な労働・性的搾取、さらに臓器売買――魔手は、肉親を奪われ、孤独のどん底にある子供たちに忍び寄っている。
 国際社会から人身売買の加害国と指さされる日本にとって、トラフィッキングは人ごとではない。今年は人身売買法も制定される。一体、黒い市場はどんな動きなのか、最大被災地インドネシア現地と周辺国に、その実態を追った。


【深い傷を負う中、復興への活気】
 三万五千人もの孤児が発生したスマトラ島アチェ州北端の都市バンダアチェ。いまだ収容し切れぬ遺体と酷暑による腐臭、感染症拡大の恐れ、被災者のトラウマ(心的外傷)などによる治安の乱れ……様々な情報と憶測におののきながらの現地入りだったが、意外に空気は乾き、街の再建にかける人々の活気が伝わる。
 バイクの修理屋とガソリンスタンドに列ができ、フルーツや菓子の屋台が日に日に増えている。新規開店のスーパーは夜遅くまでにぎわっていた。道端にマットレスやレンガを重ねて売る姿は、復興イラクでも見られた光景だ。発生から二カ月、深い悲しみを胸の奥深く抑えこみつつ、人々は再び立ち上がろうとしているのだ。
 しかし、一歩町中を出ると、痛ましい傷跡に遭遇する。現地の案内役は、長野県上田市の自動車修理工場で〇二年まで三年間働いたモジュさん(二十五歳)。彼もまた兄と妹を亡くした被害者である。一人住まいの自宅のすぐ近くまで津波が押し寄せたが、危うく難を逃れた。彼の自宅に泊めてもらい、友人の車で三日間、市内をつぶさに見て歩いた。
 「ひと目見て、広島、長崎を直感した。それに比する惨状ではないか」と、特定非営利活動法人「国境なき子どもたち」代表ドミニク・レギュイエさんに東京・新宿の事務所で聞いていたが、まさにその言葉を裏付ける破壊力だ。
 パサール・アチェ、ランプロー、ウレリュッ、カジュ地区など住民の大半が犠牲になり、廃墟化した地区を回った。住宅街は一面、焼け野原のように瓦礫化している。目につく遺体は運び出されたが、その下には、まだいくつも残されている。雨期を過ぎ、地面は干からびつつあり、このまま白骨化を待つのか。五キロほど郊外の墓地に行った。
 ココナツの木と国旗の下に、赤土のさら地が広がる。墓標も何もない。五メートルほど土を掘り、遺体を土葬、五十センチの土をかぶせ、遺体を重ねた四段積みの墓地である。「五万五千人が埋められた」と管理人は言う。そんな墓地がいくつも郊外にできた。

 破壊美と表すると不謹慎だが、自然の驚異は様々な奇妙な光景を作り出している。魚市場の埠頭から一キロ以上もある民家の庭先に乗り上げた漁船。その手前にはぽつぽつ住家がある。大波に乗って、屋根の上を滑ってきたのだ。家の柱や骨だけを残して家財道具一切を吹き飛ばし、ガラス窓は残って、屋根のトタンが潮風に不気味な音を立てている。島の西端の岬近くには、石炭を満載した巨大鉄鋼船が山裾に居座っていた。
 ウレリュッ地区の海辺には、子供のサンダル、リボン、家計簿、カーテンなど、幸せだったはずのクリスマスの日を偲ばせる遺品が泥中にまみれて散乱し、目抜き通りの商店街はゴーストタウン化している。
 住民一万二千人の九割が死亡したカジュ地区で、自分の背丈ほどの家を建てる少年に出会った。両親と妹の四人で暮らしていた。三人は波にさらわれた。基礎のタイルだけが残るわが家に、赤瓦を並べ、板きれを釘で打ち付けて住処を作っている。辛くても生きていくしかない。夜はモスクで寝て、学校に通う。大学の先生だった父を尊敬する。このミニホームから夢を作るのだ、という。
 枯れ葉で穴が埋まったトイレに放り投げられた財布にはコインの一個もない。一万五千ルピア(二百十円)を入れると、少年は何度も何度も手をあげて、「トゥリマ カシッ(ありがとう)」と発するのだった。
 病院の診察受付はどこも鈴なりの人だかりだ。家財道具も何も失って、知人友人宅に居候しあっており、モジュさんの家にも三人が居着いている。


【狙われる地区】

 人身売買は、こんな不幸の底を漁るように黒いシャベルのツメでさらっていく。ラムロームという地区に連れていかれた。ここは、人身売買ブローカーが、ひそかに標的として狙っているところだという。なぜかーー色白の西洋人的な顔立ちの子が多く、美人の産地として知られているのだ。植民地時代のポルトガル系の血が継がれ、青い瞳の子も目立つという。
 アジア財団日本事務所シニア・プログラム・オフィサー玉井桂子氏(人身売買禁止ネットワーク運営委員)が語っていた。「色白の子ほど人身売買市場で高値になる。フィリピンのビサヤという街もスペイン系の娘が多く、長年、搾取の対象になった」と。
 海に近い一帯は壊滅状態で、孤児も多数出て、山の斜面の避難キャンプで生活をしている。一月早々、ブローカーたちがかなりうろつき回ったらしい。大人たちは子供についてばかりいられない。家が全壊し、仕事を失った。手をつけるべき作業が山ほどもある。孤児には、親戚を装って、近づいてくる。一人でたたずんだりしないよう、大人たちで確認しあったという。
 幸い、学校に被害がなかった。授業が再開されると、安心感は倍増する。しかし、危機は去らない。バンダアチェの街は今、すさまじい物価高に襲われている。仕事がない。米、牛乳、牛肉、ガソリン、パン、コーラなど食料、飲料、生活雑貨品のすべてが、津波前より三―五割値上がりした。元々、貯蓄などない。失業によって、家計はじわじわと苦しめられる。人身売買は、貧困の上に成り立つブラックビジネスだ。ブローカーは巧みな語り口で、威厳たっぷりに養育に困る親に近づく。
 「子供だけは、幸せにしてあげなさい。もうバンダアチェは立ち直れない。ここで苦労させるより、豊かな家で楽しい人生を送らせてやるべきだよ」
 「シンガポール、香港、日本……誰だってあこがれるだろう。これを機に学習と就労の機会を考えなおすべきだ」
 孤児救援活動をする北スマトラ大の学生から聞いた証言だ。モスクなどでは、生き残り住民の再登録が行われている。そこに子どもの手を引いて、家族と偽って登録する者がいる。涙をこぼして芝居する者もいる。津波は一切の証明書を押し流した。本当の親であっても証明は難しいのだ。