ルポ 子供たちを襲うトラフィッキング危機を追う 第2回

【事件頻発】
 子供の拉致問題が顕在化したのは、発生から一週間あまり経ってからだった。国連児童基金(ユニセフ)が一月四日、「バンダアチェから首都ジャカルタに連れて行かれた子供の行方がわからず、メダン市(東六百キロの同国三番目の都市)に避難した孤児五十人も空港で行方不明になった。スリランカでも九十人の子供が消えた」との情報を公表、緊張が一気に高まった。
 ユニセフ駐日事務所筋も、メダンで男女二人が関係のない子供を連れていたため、警察当局に拘束された事件を確認した。一月七日付朝日新聞夕刊は「二十人以上の被災孤児が行方不明で、組織的にさらわれた可能性が強い」との地元紙の報道を掲載、AFP通信なども「三歳から十歳までのバンダアチェの子供三百人が営利目的でマレーシアに連れて来られた」などと報じた。バンダアチェのマタイ地区では、七、八百人の子供の行方がわからないとの未確認情報もあった。
 事件の舞台は、病院と空港が圧倒的に目立つ。町中には、病院、役所、モスク、学校、商店の壁という壁に、子供のコピー写真が貼られている。子供の視線に高さをあわせたものが多い。可愛い顔立ちの子が目立つ。この街の居住域はわかりやすく、二カ月あれば戻れるはずだ。亡くなったのか、連れ出されたのかーー生存の目撃談がありながら消えた子もおり、肉親は、塗炭の苦しみである。
 三万五千人とされる孤児を守るため、目に見えぬ敵といかに戦うかーー。官民一体となった戦いが進む。インドネシア政府は、養子縁組の禁止を発令、子供(十六歳以下)のアチェ州外渡航禁止措置、軍と警察を動員、州境、空港・港などの警戒を強化した。中長期的には、ケアハウス設置、教育・就労機会のあっせんなども視野に。日本政府もケアハウスへの経済支援を決めた。
 ユニセフのほか、「セイブ・ザ・チルドレン」「インドネシア・フォスター・ペアレント」など民間の支援団体も避難キャンプを巡回、子供の顔写真と身上データなどを集めて電子登録するなどしている。厄介なのは、実際に親子離ればなれになった人々の再会作業もあわせて行わねばならないことだ。
 「セイブ・ザ・チルドレン」のインドネシアスタッフ、アンダヤ・アブラマンさんは「一人の子に十人の親や親戚が名乗りを上げる異常な状態だ。特に、混乱が目立つ病院に悪者が集まりやすい」という。どんな方法で、「本物」をかぎつけるのか。「子供はどこの店で、いくらの駄菓子やガムを買い、店の主はどんな顔か。どこで、どんな遊びをして、何時ごろ帰るか」などを両方に尋問し、さらには、両者から写真を提供させ、百数十枚の写真の中から一枚を選び出させるなど綿密に照合したうえ、方言テストなどを行う。
 しかし、地元バンダアチェでは、情報が錯綜し、拉致された子供たちがどうなっているのかなど実態がもう一つ明瞭でない。動きが水面下に潜っている。あるNGO幹部がささやいた。
 「メダンだ。スマトラ最大の都市メダンはバンダアチェへの乗り継ぎ港でもあり、陸の孤島バンダアチェはその経済圏内にあり、ヒントはそこにあるのではないか」
 メダン市は人口二百万人、北スマトラ州の州都だ。一九〇〇年代、たばこ、ゴムの大型プランテーション開発で発展、今も国際商品市場として知られる。そこで、被災者の支援活動も行う日系二世JAMHARIL・HARUO・UMEDAさん(梅田治男、五十三歳、日本語学校経営)に出会った。
 梅田さんの父は特攻隊の生き残りで、今、メダンのインドネシア軍人英雄墓地に眠る。梅田さんは、被災者のトラウマ(心的外傷)解消のため、国内のカウンセラー四十人を引率して、二月中旬、バンダアチェでテントに寝泊まりしてボランティア活動をした。
 「ジュアル(人) ブリ オラン(売買)は、深刻な問題だ。富裕層の慈善の思いが重なって、簡単に養子縁組を許す風習があり、人身売買は偽装しやすい」と指摘する。彼に連れられて、民間支援団体「アチェ・スパカット基金会」をたずねた。ドクターのハウジ・ウスマン氏が一九六八年に設立した福祉団体だ。事務所は移転し、そこは、津波被災者の臨時保護施設になっていた。ロスナ会長夫人が応対してくれた。取材の趣旨を話すと、彼女は突然、庭で遊んでいた一人の少年を連れてこさせた。ロスナさんが口を開いた。
 「この子に笑顔が戻ったのは、ほんの数日前です。実は、ブローカーの男に連れ去られて、転々とした後、運良く我々の手で保護されたのです。この子は恐ろしい体験をして、カウンセリングによって、やっと立ち直りつつあります」