ルポ 子供たちを襲うトラフィッキング危機を追う 第3回


【人身売買、少年の恐怖の体験と証言】

 その証言は、衝撃的であり、初めて明らかにされる事実である。
 少年は、ラマトヒダヤ君(九歳)という。バンダアチェのマドラサ小学校に通う三年生だ。父親は、教師をしつつ、画家だった。父は津波の前々日、クリスマス・イブの日に沖合に出て海の絵を描いている時、誤って海中に転落死し、その土葬を二十五日に済ませた翌日、津波に襲われ、今度は、母親と妹を失ったという。家族三人は、その時、家にいた。母娘は崩れた石垣の下敷きになって死亡し、ラマトヒダヤ君は海に流されそうになったが、樹木につかまっていた、という。
 泣き崩れて助けを待っている時、「あごにひげをはやし、腕や肩に入れ墨をしたおじさんが近づいてきて助けてくれた。それから黙って手を引っ張って、そのまま連れて行かれた」という。もちろん顔見知りではない。家族を一挙に失った少年は、何をどうすべきか思慮する余裕もなく、言われるままについていった。少年は、賢そうな表情を浮かべ、きちんと勉強もこなす中産階級の子に見える。証言にあいまいさがなく、具体的なのだ。
 向かった先はバンダアチェ空港だった。「おじさんと一緒にガルーダ航空に乗った」という。どこ行きなのかもちろんわからない。連れていかれた所が、シンガポール国境のバタム島と知ったのは飛行場の文字を見てらしい。
 「入れ墨を見るたびに、怖くて何もできず、黙って言うことを聞くしかなかった」
 ラマトヒダヤ君はそうつぶやいてうつむく。見知らぬ人にあめ玉をもらってもついていくような子供には見えない。
 「翌日から物貰いをさせられた。港から離れ、工場や会社、レストランがあるところで、一日中、乞食をさせられた。朝五時に起き、六時に外に出ると、夜まで町中を歩かされ、金を集めた。一日で六万ルピア(約八百四十円)を集めたけれど、千ルピア(十四円)しかくれなかった」
 ストリート・チルドレンにさせられたのだ。さらに、驚く事実を少年は明らかにした。
 「子供は三、四十人いた。僕たちは薄汚い小屋に押し込められて寝たんだ

 「バラバラでどこからか連れてこられた。マレーシアの子供もいた」
 バンダアチェから拉致され少年は、ほかにも何人もいた可能性が強い。人身売買シンジケートの存在を浮かび上がらせる証言である。
 「逃げようとしなかったの?」
 「夜、寝る時に横にいた少年に一緒に逃げようと誘われたけれど、見つかったら、どうなるかわからないからできなかった。乞食の最中も見張りがいた」
 ラマトヒダヤ君は、結局、一カ月以上をバタム島の小屋で乞食して過ごした。ある夜、入れ墨の男とラマトヒダヤ君は、埠頭わきから中古の小型船に乗りこんだ。船は暗い海を滑り出した。少年の小さな胸中はいかばかりだったろう。船は一晩中、走り続けた。
 夜明け前、港に着いた。そこがメダンのベラワン港だったことも、下船後、知った。そこで、別の男に引き渡されたが、一瞬のスキを見て、逃げた。交番近くで、声をかけられ、その人がスパカット基金会に連絡、ラマトヒダヤ君は、二月初め、ここに来た。
 少年の行動を観察していると、無邪気にじゃれまわる反面、突然、ソファに沈み込んで、ふさぎ込む姿が周期的に見られ、家族を失ったトラウマがひどいことが感じとれる。その小さな手を握ってあげた。父親は画家だったのだ。教師でもある。本当なら、この子には輝ける未来があったかもしれない。tsunamiはその未来を一瞬のうちに奪い去り、孤独に耐える人生を押しつけたのだ。命が助かり、人身売買の魔手から逃れたことを、不幸中の幸いと胸をなで下ろすにも、むごすぎる幼い転機ではないか。
 ロスナさんは「学校に行かせてあげること、今、いちばんそれが重要です。メダンの学校に入学する手続きを始めたところです」
 ラマトヒダヤ君にたずねた。
 「学校に行けるんだって。行きたいかい?」

 こっくりとうなずいて、微かに微笑んだ。その暖かな小さな手はまだ離されていなかった。
 男はなぜ、ベラワン港に戻ったのか。それを探るべく港に向かった。市街地を抜け、車は北に向かった。四十分ほどで港に着いた。工業港の埠頭が一キロ以上続く。そこを走り切ると、客船埠頭がある。マレーシアやシンガポール行きの高速艇が停泊していた。運搬船らしい中古船もいる。埠頭で雑談していた船舶修理業者や警備員の男たちに、ラマトヒダヤ君の件を持ち出してたずねてみた。男たちは意外なことを言った。
 「沖合二キロの海上に、ジャルマールと呼ばれる漁業基地がある。ジャルマールは、スマトラ沿岸各地にあり、昔からそこでは子供たちの強制労働があるんだ」
 基地で網を仕掛けた後、かかった魚の網を引き、水揚げする。さらに、その場で天日干し、袋詰めにして出荷する作業が行われているが、そこでは売られてきた子供たちが働かされ、しばしば問題になるという。この数年、取り締まりが厳しくなったため、目立たないが、沖合はるか彼方での海上労働だから、監視の目は行き届かない上に、目こぼしなど癒着も囁かれ、強制労働は残っているのでは、という。
 話を聞きながら、アフガン国境に近いパキスタン・ペシャワールのトラック修理工場をかつて訪ねた時のことを思い出した。そこでは、おとなたちに混じって、小学生ほどの子供がペンキの塗装作業をしていた。どの顔も疲れ切って、暗く沈んだ顔だった。
 ネパール・ポカラの居酒屋でもたくさんの子供が働いていた。「よく親の手伝いをする子だ」と感心していたが、それが貧しい農山村から売られ、学校にも行かずに働かされると知って、がく然としたことがある。

【トラフィッキングの島】
 ラマトヒダヤ君の証言は、重大な事実をいくつも明らかにした。まず@人身売買のブローカーらは、津波で大量の孤児が発生した直後から暗躍し始めたことA空港や港などを堂々とパスしており、密航船の存在とインドネシア当局の水際作戦が功を奏していないことB三千を超すマラッカ海峡の島々が、売買の通過ルートという情報の裏付けC子供たちが転売されているらしきことーーなどだ。
 これらから導き出される結論は、大量の子供売買がかなり早い段階から行われたとのユニセフの警告通りだったということだ。同基金会のムクタル・ヤコブ副会長は「我々自身が警察に突きだした容疑者も何人かいる。津波の混乱に乗じて、活発になっており、根気強く取り組まなければ、悲劇をなくすことはできない」と語った。
 人身売買ルートの一端がかい間見えてきた。少年がストリート・チルドレンを強いられるバタム島に行ってみなければならない。少年少女はそこに集められていたのだ。そこは最終目的地ではない。アングラマネーの世界でいう「マネー・ロンダリング」的経過措置だ。普通の子供たちを、非社会的な地下世界にひきずりこむ入り口の性格がある、という。
 バタム島は、国際都市シンガポールからわずか二十キロしか離れていない。日本企業の進出も多く、観光よりも産業立地の傾向が強い。ストリート・チルドレンを探し回るうちに、日本語を話すホテル従業員の若者から面白いことを聞いた。この島の繁華街は、ナゴヤと呼ぶという。目抜き通りはショッピングセンターを中心に人通りも多い。「KARAOKE」のネオンがけばけばしい。中国以南で、KARAOKEは売春の代名詞でもある。日本人が昔から遊んだことで、なぜか名古屋の地名がつけられたともいう。ストリート・チルドレンはいたる所にたむろしていた。流しのギターを持たされて三人で歌う少年もいた。そのまま青年になった者も多く、治安は極めて悪いと注意された。年端のいかない少女たちも、大人びた格好で街角に立っていた。
 
子供のトラフィッキングは、大別して三タイプに分かれる。@強制労働Aポルノ・売春などセックB腎臓など臓器移植の対象――などだ。目的によって、子供が流れる先も変わる.この島から少年少女は、シンガポール、さらにはバンコク、パキスタン、中東UAE・ドバイなどに売り飛ばされていく。中東は強制労働、セックス関連はバンコクなどだ。
 臓器売買の実態については、まったくの闇の世界で、ユニセフや外務省などもその実情をつかめていない。かつてフィリピンのスラム街の子やカンボジア内乱による孤児が犠牲になったとの報告があるが、ほかの実情はわからない。子供の腎臓は、健康な上、移植しやすい利点があり、高値で売買される素地はあるという。

 そこでまた驚くべき情報を得た。バタム、ビンタン島などマレー半島寄りのマラッカ海峡の島々に、子供を流す拠点都市が、スマトラ島側にあるというのだ。それは、石油・天然ガスの積み出し港として知られるリアウ州の州都プカンバル市だ。リアウ州はマラッカ海峡の三千近い島を抱える。バタム島から約二百キロほどだ。バタムへ流れてくる子供は、ここから来るのが通常ルートという。高速艇で約五時間、プカンバルも訪ねた。
 市街地は椰子の並木があり、比較的整備されている。メダン市などより活気があり、新興の経済都市として発展しているようだ。人身売買の件などうかつに口にできない。数年前、この問題を追及していた欧州のNGO関係者が殺害された、との情報もある。ただ、この街も、マラユと呼ばれる民族系から美形が多く産出したという。一方で、ラワン材の産地であり、その密貿易も盛んだという。人身売買の拠点になりうる条件は、そろっている。偽造パスポートなどもここで作られるらしい。